「解放されたい」という欲望に触れつづける

ローラ・ベンソンが演じる「ローラ」は、強迫性障害を持ち人から自然に触れられることができない。男娼を買いながら彼に触れることもできず、ただ見ている。父親の入院する病院に通うが、通りがかりに障がい者をはじめさまざまな人が集うカウンセリングの光景を目にし、思わず立ち止まる。

脊髄性筋萎縮症(SMA)を持つクリスチャンの顔に触れることに嫌悪感を抱いた無毛症のトーマスは、自分の感想を正直に述べることで、次第に内にある感情を解放していく。ローラはトーマスから目を離せなくなり、たびたびあとをつけてしまう。トーマスはガールフレンドに連絡を絶たれ、彼女を探しに倒錯した性のナイトクラブを訪れる。クリスチャンと妻はそこの常連だった……。

ローラは、セラピーで男性の欲望に反発し反抗する自分と、それを求めている自分の両面性に気がつく。自らのつよさを発見して、そのうえで欲望を解放すべくたどるプロセスは、本作品を観る女性にとってもヒーリングセラピーのようだ。ローラの部屋に入り込んで容赦なく私的な行為を観察するカメラと監督は、俳優の演技にも、ストーリー展開にも、安易なオルガスムのような盛り上がりの機会を与えない。だからこそ、観客も手探りでローラと自分を見つめることができるのかもしれない。

「解放されたい」という欲望は、深く人びとの裡に眠っていて、ちょっとやそっとでは揺り動かされず、びくともしないだろうけれども、映画はやさしくその深奥に触れつづける。タッチ・ミー、タッチ・ミー・ノット。解放されたローラの姿を見るとき、観客は心の底から癒やされるだろう。

【関連記事】
政治に高い理想を追い求めながらリアルを描いた稀有のドラマ
44歳・看護主任「病院でしぶとく生きる人、すぐ死ぬ人」
任天堂が「法的にグレー」だったゲーム実況をいち早く認めたワケ
まったく見ていない有料放送に10年以上も入っていた老父の言い訳
YouTuberをバカにしていた大学教授が思い知った遠隔授業のハードさ