「まさか『新天地』になるわけにはいかないでしょう」
ある創価学会の中堅幹部は、表情を固くしてそう言う。韓国の新宗教団体・新天地イエス教会が教団行事の中で新型コロナウイルスの感染を広げ、韓国国内での感染爆発の引き金を引いたとして猛批判を浴びたのは2月下旬のこと。「再誕のキリスト」と称してきた教祖・李萬煕氏は3月2日、居並ぶマスコミを前に土下座謝罪に追い込まれた。
一般信者「え、信じていれば、病気から守ってくれるはずでは…」
「宗教団体の行事とはおおむねどこでも、多くの信者が教団施設などに集まり、お経を唱えたりして共に祈るというもの。見事にクラスター(感染者集団)の発生条件とされる3密(密閉・密集・密接)を満たしている。今の社会情勢下で宗教行事からクラスターが発生することなどがあれば、世間からすさまじい批判を浴びて教団の存続にも関わるでしょう。従来通りの活動を続ける勇気を持った団体は少ないと思いますよ」(同前)
なるほど、そうした各教団指導部の判断には確かに妥当性がありそうだ。しかし一方、一般の信者層からは現状に対し「何か釈然としない」という声が静かに上がっているのも事実なのだ。
たとえば創価学会が戦後の急拡大期、いわばスローガン的に盛んに唱えていたのは「貧・病・争からの解放」といった文句だった。立正佼成会開祖・庭野日敬と真如苑開祖・伊藤真乗はそれぞれ長沼妙佼、伊藤友司という霊能者的な盟友を持ち、その“神秘の力”で信者の病気治しなどを行って勢力を拡大させてきた。また生長の家創始者・谷口雅春は「人間神の子、本来病なし」というのが決め文句だった人物で、世界救世教の明主(教祖)・岡田茂吉は手のひらを他者にかざすことで病を治癒できるという「手かざし系新宗教」の祖である。つまり、日本の新宗教団体とは程度の差はあれ、その多くが「病気治し」を看板にして発展、拡大してきた歴史があるわけだ。
立正佼成会関係者「行事の取りやめ、正直しんどい」
ある生長の家の古参会員はこう言う。
「教団からクラスターを生まないため、各種の行事を取りやめるという方針は医学的に正しいのだろうし、それ自体に反対する気もない。しかし現状ではどの団体からも、『行政や専門家が活動自粛を求めるので従います』という以上の姿勢が見えてこないのも事実。これでは一体、何のための宗教なんだ、われわれは何のために信仰してきたんだと感じてしまう」
また長引く自粛は、各教団の財政に深刻な影響を及ぼしかねないとの指摘もある。なぜなら日本の新宗教団体の多くは、定期的に納める会費の額はそこまで高くないという事実があるからだ。たとえば立正佼成会の会費は月に100円。真如苑は月に200円。創価学会にはそもそも会費という概念がない。
「ほかの教団でも似たようなものだと思うんですが、大きな行事や本部、教会などへの参拝の際に、会費とは別の寄付を出してもらうというケースが多い。教団財政的にもそのあたりが重要な柱の一つで、あまりに活動自粛が長引くと、確実にまずいことになる」(立正佼成会関係者)