人間は「何かを表現したい生き物」だ

僕の競技人生は30歳以降下り坂で、競技では思うような結果が出なかった。それでも自分自身の身体の仕組みを探る旅はとても興味深くて、終盤になればなるほど理解は深まった。そして何より、それは面白かったのである。

為末大『新装版 「遊ぶ」が勝ち』(中公新書ラクレ)
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奇しくもさまざまなテクノロジーの発達で、人間にしかできなかった領域が少なくなってきている。この先に一体何が待っているのか。そして、そもそも人間とは何だろうか。人間らしいとはどういうことだろうか。

英語で遊びとは“play”と書く。演奏することも、演ずることも、競技をすることも、すべて“play”で表現される。おおよそ人が何かを表現することは“play”という言葉でくくられている。

人間のありようそのものが問われる今、僕は遊びの領域にこそ人間らしいものを見ている。私たちは本来的に、何かを表現したい生き物で、そしてまた誰かの表現を受け取ることで、新たな表現が生まれる。

人間とは遊びたいもので、そして遊ぶことにより、人間はより人間らしくなるのだと僕は思っている。

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