日本全体が「自粛」の空気に包まれている。このままでいいのだろうか。オリンピアンの為末大さんは「競技生活晩年、記録が伸びず苦しい時期が続いた。そのとき『遊ぶ』という考え方に出会った。苦しいときこそ、遊びの効能を見直したほうがいいのではないか」という——。
※本稿は、為末大『新装版 「遊ぶ」が勝ち』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
スポーツの本質は「遊ぶ」ことにある
僕のツイッターにオリンピック強化選手とおぼしきアスリートから、心境を吐露するようなメッセージがときどき届く。そのメッセージを読むと、どれも苦しそうだ。「もう(重圧に)耐えられません」というような内容もある。
僕自身にも同じような経験があるので、その思いは痛いほどわかる。もし僕に言えることがあるとすれば、「難しいかもしれないけれど、問題をあまり真正面からとらえず、視点を変えるといいのではないか」という提案だ。たとえば「いま自分がこだわっている問題ってそんな大切なのか?」ということを問い直してみるのだ。
スポーツというと、険しい表情で練習を積み重ねるイメージが強いかもしれない。しかし、「陸上競技場」を英語で言えば、“playground”であるし、「スポーツをする」も英語ならば、“play tennis”“play baseball”と、“play”が使われることが多い。元をただせば、スポーツの本質は「遊ぶ」ことにあるのだ。スポーツを原点に返ってとらえ直すことで、見えてくる景色や気分が変わって、肩の力がスッと抜けるのではないかと思っている。少なくとも僕はそうだった。