苦しかった時、「楽しさ」を思い出させてくれた本

この本は、『ホモ・ルーデンス』(ヨハン・ホイジンガ)という、遊びを哲学的に考察した名著の内容を引きながら書いた。陸上選手として行き詰まった僕に、遊ぶことの大切さを教えてくれた愛読書なのだが、意外だったのは、茶の湯をはじめ日本人は遊び上手だったという記述である。そんな日本人の姿は、近代化する過程で薄れていく。

初めて『ホモ・ルーデンス』を僕が読んだのは20代中盤の頃だったろうか。日本代表というポジションがようやく定着した頃で、少しずつその重責を感じはじめていた。自分の陸上競技が自分だけのものではなくなり、みんなの夢と期待を背負って走っている。それはアスリートとしては誇らしくて、夢に描いていたことだけれど、でも実際に体験するとその責任が息苦しくもあった。

ホモ・ルーデンス』に書いてある遊びの世界。それはまさに僕が競技を始めた頃感じていた世界で、そして現役の間中ずっと自分の内なるモチベーションを支えてくれたものだった。楽しいから走っている。走りたいから走っている。久しぶりにその感覚を、僕によみがえらせてくれたのが『ホモ・ルーデンス』だった。

ノルマに追われる社会で、いかに「遊ぶ」か

「遊び」と聞くと、大方の日本人は、真面目の対極だと感じてしまうけれど、実際には遊びは真面目と共存しうる。一所懸命に子どもは遊ぶし、大人も大真面目に休日の趣味の時間を過ごす。遊びは決してふざけることではなく、むしろ我を忘れて何かに熱中することだと僕は思っている。

大人の仕事が遊び化しにくいのは、目的があり、組織の都合があり、期限とノルマがあり、クオリティをある一定以上保たなければならないからだと思う。それは仕方のないことだろう。そしてこれまでの社会であれば、ある程度人が淡々と作業をこなすことで産業は成り立ってきた。

でも、イノベーションやクリエイティビティというのが大事だと言われる時代に入り、この「遊び感」がそれらに大きく影響しているのではないかと僕は感じている。生真面目にこれまでの文脈の延長線上に何かを積み上げていくだけでは、どうしてもイノベーションは起きにくいし、クリエイティビティも生まれにくい。

人間にしかできないことがこれから先の社会に求められているとしたら、僕は遊びの中にヒントがあると思っている。遊びで磨かれた五感的な直感、遊びを入れる感覚、楽しいという気持ち。

大人が遊び続けるのはとても難しい。社会から役割を与えられ、常に目的を問われ、ノルマに追われる社会の中で遊び続けることはとても難しい。でも、その中でどう遊ぶかというのが人間の知恵であり、また人間にしかできないことなのではないだろうか。