「好奇心旺盛で実証主義。自らが納得するまでやる」ことがストレスをためない秘訣といえる。

ストレスをためないのではなく、「癒やし」によって心を解放していたのが武田信玄。山梨県には温泉が豊富だったため、戦いでけがをしたり、慢性痛に温泉療法を試みていたといわれる。

小和田氏は「温泉に入ることで戦で緊張した心をほぐし、気分をリラックスさせる。侮れない健康法だと思いますね」と話す。

厳しい時代だが、食するうえで多くの人が自然と健康になっていた点が2つある。1つめは鮮度の高いものを食べられたことだ。「現代のような冷凍食品や即席麺はありませんし、そもそも冷蔵庫もないわけですから素材はいいですよね」と加来氏が言う。2つめは腹八分目にならざるをえない環境であったこと。徳川家8代将軍徳川吉宗の時代までは昼食ちゅうじきがない。

戦に備える携帯食マル秘レシピ

一方で美食家もいた。伊達政宗だ。

「朝から2時間程度自らの食べたい献立をじっくり考え、納得のいくメニューができるとお付きの者にメニュー表を渡していたといいます。ご飯も1度に2合半、3、4膳は食していたようですね。自分だけでなく、仙台の味覚――鶴や鱒、白鳥などを将軍家へ献上したり、接待にも贅のかぎりを尽くしていました。70歳で、今でいう胃がんで亡くなったといわれます」(同)

当時にしてみれば長寿といえるが、やはり高カロリー食&食べすぎにはご用心。

また普段は粗食に耐える生活をしていても、いざ戦となれば白米でエネルギーを補給し、優秀なタンパク源である味噌、干し納豆、かつお節などを食していたといわれている。

そして当時独特の携帯食が「兵糧丸ひょうろうがん」といわれるもの。丸薬状のものを一日に2、3粒食せばそれだけで空腹を感じない、体力も落ちないというから驚きだ。身を隠して敵方へ忍び込み、情報収集をするときに利用したという。

「おそらく疲労回復を念頭に風邪にかからないような予防的なもの、胃腸の働きを整えるための要素を混ぜ合わせて作ったのではないでしょうか」(同)

たとえば上杉謙信は〈麻の実や黒大豆をそば粉に混ぜて粉末にし、酒に浸してから日干し、後に丸薬に製す〉、竹中半兵衛は〈薬用人参や白米、松の甘皮を粉にして丸めて蒸す〉、徳川家康は〈黒大豆、黒ごま、片栗粉、砂糖を調合〉など、それぞれ独自の製法を持っていたと伝えられている。

忙しいビジネス戦士も、オリジナルレシピで兵糧丸を作ってはいかが。

戦国武将の健康習慣
加来耕三
歴史家、作家
 

小和田哲男
静岡大学名誉教授、歴史学者
 

早川麻理子
管理栄養士、日本臨床栄養協会理事
 
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