その様子を見た周囲は、そんなことも即座にわからないような頭では「天下がとれない」と思ったという。

光秀と対照的であるのが徳川家康だ。疑い深く、すべてにおいて用意周到で、自分の健康にもしっかりと気を配り徳川家の存続を願った。

「当時は人間50年といわれていたが、家康の場合、75歳と長寿です」と静岡大学名誉教授で歴史学者の小和田哲男氏が解説する。

暴飲暴食はしないように心がけていました

「酒を飲みすぎて早死にする周囲を見て、深酒はよくないと、浴びるほど飲まないようにしたり、今でいう暴飲暴食はしないように心がけていました。それから家康は健康によい麦飯を好んで食べていたとのことです」

白米と比較して「麦飯」には、糖質や脂質をエネルギーに変換するビタミンB群が多く含まれる。B群の中でもビタミンB1は神経機能を円滑にし、B2は代謝回転を促進して疲労回復に役立つ。管理栄養士で日本臨床栄養協会理事の早川麻理子氏によると「麦飯は食物繊維が豊富なため腹持ちもよく、腸内環境を整えて免疫力を高める作用もある」という。聞けば聞くほど“戦のとき”にピッタリである。

もう1つ、家康の健康法として、自ら漢方薬を調合していたことが挙げられる。

「当時の武将は皆、ある程度漢方薬の知識を本で学んでいました。しかし家康は自分専用の薬草園を持ち、毒殺や毒消しに対して自ら調合するほどの知識を備えた薬オタク。薬で寿命を延ばすということを意識していたと思いますね」(小和田氏)

健康に全く気を使わなかったのが豊臣秀吉だ。金も家来も何もないスタートで、出世することだけに身を捧げ、体を休める時間がなかったといえる。

「信長に仕えている間に体を酷使し、ようやく天下人になって体を休めたいときに女性に狂う。さらに寿命を縮めてしまった。秀吉の趣味は『温泉と茶』ということで悪くはありません。茶は健康にもいい。けれど、仕事から引退し、趣味の世界でゆったりする時間が遅すぎたといえるでしょう」(加来氏)

織田信長は歴史家の中で有名なのが「塩分の濃い食事を好んだ」ことで、とても体に気を使っていたとはいえないが、ストレスがないこと、体と頭をよく動かしていたのが強みという。

「好きなものを食べて体を使う。今でいうアウトドア派で、鷹狩りで走り回る。情報のアンテナをはりめぐらせてインチキをやっていそうな人がいればすぐに呼びつけて問いただす」(同)

たとえば、ある池に大蛇がいるという噂が立つ。信長は「そんなものはいるわけがない」と、領民を集めて池の水を全部かき出させる。しかし見ているうちに次第に自分でやりたくなって、ついに刀を背負って信長自らが池に飛び込んだのだとか。食べものでいえば日本で一番最初にバナナや金平糖を食べたのも信長だ。