ノートを書き続け、朝になっていることもあった
監督の狙いどおりにプレーできなかった。チャンスで凡退してしまった。失点につながるミスをしてしまった――押し寄せる悔しさを処理できず、自分のプレーを整理できず、ペンを持てない日がありました。
2012年に北海道日本ハムファイターズの監督に就任してからは、シーズン前のキャンプから必ずノートを開くようにしています。その日のスケジュールがすべて終わった夜に、自室でペンをとります。日記をつけるような感覚です。
練習でも試合でも、実に様々なことが起こります。私自身が気づくこと、選手やスタッフに気づかされることは本当に多い。つまりは書くべきことは多い。
ところが、ノートを開いてもすぐには手が動かず、白いページをずっと見つめたり、部屋の天井を見上げたりすることがあります。
監督としての自分に、言いようのない物足りなさを感じているのです。チームを勝たせることができていない。勝たせることができたとしても、選手たちに必要以上に苦労をさせてしまっている。
反省点は数多くありますから、とにかく書き出していきます。書き出すことで頭が整理されるものの、理想と現実の狭間で揺れる気持ちはなおも落ち着かず、気が付けば窓の外が明るんでくることもあります。
メディアの立場から監督たちを見て気づいたこと
私は2012年に北海道日本ハムファイターズの監督としてスタートを切りました。
当時チーム統轄本部長だった吉村浩ゼネラルマネージャー(GM)からオファーを受けたときには、言葉を喉に詰まらせてしまいました。
29歳でプロ野球選手を引退した私は、それまで野球ひと筋と言っていい人生を過ごしてきました。引退後にどんな仕事を選ぶとしても、社会人としての知識量は明らかに乏しい。人間として一人前になるためには学びの時間が欠かせないと考え、スポーツキャスターとしてメディアの世界に飛び込んでいきました。
伝える側から野球を見つめると、様々な気づきがありました。
監督について言えば、名将や智将と呼ばれる方々は経験から多くを学んでいるという共通点がありました。選手としての実績、監督としての成績が選手たちの心を惹きつけ、カリスマ性と言うべき存在感につながっていることも肌で感じることができました。