その時々の精神状態で古典の受け止め方は変わる

日本の資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一さんは、「すべて形式に流れると、精神が乏しくなる。何でも日々新たにという心掛けが大事である」と説きます。過去の成功例はもちろん参考にするべきなのでしょうが、「去年までがこうだったから、今年も同じやりかたにしよう」と無条件に決めるのではなく、違った角度からアプローチすることも大事だよ、ということでしょう。

渋沢さんの著書『論語と算盤』は、擦り切れるぐらいに読み込んできました。そして、ページを開くたびに「そうか!」と膝を打ちます。その時々の精神状態によって、受け止め方が変わってくるのでしょう。そしてまた、私は渋沢さんの言葉をノートに書き写します。気になった言葉は何度でも書く。血液に溶け込むぐらいに、細胞に組み込まれるぐらいに、書いて、書いていきます。

シーズン中のプロ野球は、基本的に週に6日試合があり、試合がない日は移動日に充てられます。ファイターズを率いる私は、試合中に頭をフル回転させます。刻々と戦況が変わっていくなかで、次の一手を絶えず考えていく。

想定どおりに進む試合は、実はほとんどありません。采配がズバズバと当たった、という試合も例外的です。試合内容と試合展開に心から満足できる勝利は、1シーズンに数試合あるかどうか……というぐらいです。

試合後の「心の叫び」をノートに書き連ねていった

つねに想定外を予想し、瞬間的に判断を下していく攻防が終わると、全身に張り付くような疲労が襲ってきます。負けた試合のあとになれば、選手たちの頑張りを勝利に結びつけられなかった悔しさと歯がゆさと、自分への腹立たしさが身体中に突き刺さります。

すぐにはノートを取り出す気持ちになれません。しかし、試合が終わったばかりの生々しい感情は、偽りのない心の叫びです。まとまりに欠ける文章でも、言いたいことはストレートに浮かび上がってくる。だから、できるだけ早く書いたほうがいいと、経験として分かってきました。自分の気持ちをすべて書き出せなかったら、少し時間をおいて書き足せばいいのです。

机に座って、ノートを開く。身体にこもった熱を息に溶かしながら、ゆっくりと吐き出していく。感情的だった思考が理性的になり、少しずつペンが動いていきます。

誰かに読ませるためではないので、乱暴に書き殴っている日もあります。1行目には日付とその日の試合結果を書いているのですが、負けた試合後は文字が乱れがちになっている。そもそも字がきれいではないけれど、読み返すのが難しいこともあります。