1グラム単位まで何度も削る徹底ぶり
百瀬は軽量化、スペースの拡大、乗り心地の良さを追求したが、その開発方法は飛行機を作った時と同じやりかただった。
まずは徹底的な軽量化である。薄い鋼板、FRP樹脂の採用にとどまらず、5グラム、10グラム単位で車重を削った。
中島飛行機時代からの部下、小口芳門は百瀬が信頼する男だった。小口自身も自分のチームを持ち、部下には徹底した軽量化を教えていた。
小口はハンドルの設計をしていた部下に「まず粘土模型を作ってみろ」と伝えた。そうして部下が設計したハンドルの重さは9.26キロ。小口は「どうにか7.5キロまで落とせ」ともう一度、指示する。部下はハンドルの粘土をカミソリで少しずつ薄く削っていった。
そして、削りカスを手に載せ、その後、秤ではかってみたら削りカスの重さはやっと10グラムにしかならなかった。
その様子を見ていた小口は「よかったな。10グラム軽くなったぞ」と満足そうな表情をする。しかし、部下は「小口さん、たった10グラムじゃないですか。これくらいのことではなかなか減らせませんよ……」と文句を言う。
小口は猛然と怒った。
「そんなもんじゃない。戦争していた頃、中島飛行機の設計室には重量班というのがあって、彼らが設計者の図面をチェックするんだ。予定されている重量よりも1グラムでも重ければ設計図は描き直し。直属の上司よりも重量班の方が偉かった。いいか、飛行機の軽量化はささいなことの積み重ねなんだ」
以後、彼が口を酸っぱくして言ったことは「肉を盗め」「ここを削れ」「ここの強度を上げろ」という3つの言葉だった。
サスペンションが砂利道に耐えられない
また、スバル360が悪路を60キロで走っても車体ががたがた揺れなかったのは足回り、サスペンションの改良があったからだ。小口のチームは軽量化に続いて、「棒バネ」と呼ばれる新しい形状の材料を使うことを思いついた。
しかし、走行実験を始めると、サスペンションの棒バネが悪路の走行に耐えられず折れてしまう。なんといっても当時の道路舗装率はわずか1パーセントである。日本中の道路は基幹の国道をのぞけば砂利道だと思っていい。
小口は考えた。
「棒バネを長くする、あるいは太くすれば耐久性は増す。しかし、軽自動車の車体幅130センチでは、これ以上は長くできない。かといってバネの直径を太くすれば重量が増えるし、クッションが硬くなる……」
その後も試験走行では、ねじり棒バネは折れたり、曲がったままになったりしてサスペンションの役目を果たさなかった。