プロ野球・読売ジャイアンツの原辰徳監督は、三度目の就任となった今季、チームを5年ぶりのリーグ優勝に導いた。野球評論家の野村克也氏は「原監督には監督の“器”を感じない。選手よりも目立とうとするし、采配をめぐってよく動こうとする」と指摘する——。

※本稿は、野村克也『プロ野球 堕落論』(宝島社新書)の一部を再編集したものです。

5年ぶりのリーグ優勝に導いたが……

15年シーズン終了後、巨人は「勇退」扱いで原辰徳監督のクビを切った。ところが19年、原政権が復活。しかもヘッドコーチを置かず、編成にも権限を持つというのだから、前回以上の強権監督である。

巨人の原辰徳監督
2019年10月20日、9回、浮かない表情で試合を見守る巨人の原辰徳監督=20日、福岡ヤフオクドーム(写真=時事通信フォト)

期待して、現役を引退させてまで監督に据えた高橋由伸が、3年連続して優勝を逸し、責任を取って辞任した。球団は当初、高橋に続投要請をしていたそうだ。それを固辞しての退任だけに、球団にも多少の迷走はあったのかもしれない。しかし、“社内人事”とはいえ、かつて二度もクビを切った監督を呼び戻すとは、球団も監督人事に一貫性がなさ過ぎる。

まず原監督を呼び戻した狙いが、私には分からない。呼び戻すほどの能力があるのなら、二度もクビにしなければよかったのだ。だから余計、その場しのぎの人事に見えてしまう。伝統の巨人軍が、そこまで人材不足とは……。わずか3年で戻ってくる原も、どういう考えなのだろう。

私は正直、原監督に監督らしい“器”を感じていない。それが決定的になったのは15年、原政権下で選手の野球賭博関与が発覚したことだ。

私は監督の仕事の1つを、選手の人間教育だと考えている。原監督は、この時点で指導者歴10年を超えていた。そう思って振り返ると、原監督のもと、そういった内容のミーティングをやっているとは、ついぞ聞いたことがなかった。