「巨人軍は紳士たれ」の意味とは何か

「巨人軍は紳士たれ」というチーム憲章は、「球界の模範たれ」という意味だ。その憲章を掲げながら、模範たる社会人となるための指導、教育をしていない。目の前の勝ち負けにとらわれて、選手たちの将来にまで考えが及ばなかったのだろう。

今からでも遅くない。原監督は、大先輩・川上哲治さんの監督術を学ぶべきだ。V9はONの存在だけで成した偉業ではなく、川上さんの人間教育の賜物たまものだと私は思う。こんな身近なお手本に倣わない手はないではないか。

川上さんの名言がある。ラジオの解説である日、川上さんが巨人の淡口憲治あわぐちけんじ(外野手)について、こう話したのだ。

「この子は親孝行な、いい選手なんですよ」

親孝行と野球の実力に、どう関係があるのか。多くのファンがそう思ったことだろう。だが川上さんの考えは違う。親孝行な選手なら野球に打ち込み、うんと稼いで親をラクにしてやりたいと思うはずだ。だから親孝行な淡口は、一途に野球に取り組んでいる。

そして親孝行な子なら、きっと素直な心の持ち主だろう。コーチや先輩の助言をよく聞き、真っ直ぐに伸びていってくれるだろう。私は川上さんが、そんな思いを「親孝行」の中に込めたのだと考えている。

「親に、感謝の気持ちを忘れない」——これが川上さんの人間教育の出発点なのだと私は思う。先の例でいえば、野球を思う存分やらせ、プロにまで上げてくれた親への感謝の気持ちがあれば、野球賭博などに関わるはずもない。

“日の当たる道”しか歩んでこなかった不幸

本来なら原監督も、監督を辞めたときがネット裏から野球を見る、またとない勉強のチャンスであったのだ。野球がよく見え、野球の基本を改めて知ることができる。これまで見えなかったものを見れば、新しい気付きが必ずある。やがて自身の野球哲学も練れてくる。私が実際、そうだった。

ところが原監督の場合、巨人に籍を置きながら限られた場しか与えられなかった。チームを背負って野球を見ると、そこにはどうしてもチーム愛という欲が入ってしまう。すると、見えるはずのものも見えなくなってくる。そこは原監督の置かれた立場の不幸だったと思う。

原監督の育ちのよさ、苦労知らずのところも私は気がかりだ。高校から大学、プロに至るまで、常に日の当たるスター街道を歩んできた。下積みらしい下積みをしてこなかった。トップに立つ人間には、下積みがあったほうがいい。持たざる者、できない者の気持ちやつまずきが理解できたほうがいい。