私はといえば京都の田舎で生まれ育ち、高校も甲子園とは無縁の公立校に進んだ。高3の夏、京都府予選でホームランを打ってもスカウトは誰一人見に来ておらず、プロに入りたくても自分でテストを受けに行くしか道はなかった。テストに受かったはよかったが、最初はただのカベ(ブルペンキャッチャー)扱い。1年目のオフには、あわやクビを切られかけた。

プロ2年目はまるっきりの二軍暮らし。しかし、そのときの経験ものちに監督として生きたと思う。あらゆる段階で、ありとあらゆる選手を見ておくことは、確実に指導者の引き出しを増やしてくれる。原監督もせめて二軍コーチか二軍監督という段階を踏んでおくべきだったのではないか。

なぜ、「グータッチ」をやめない

「グータッチ」なるものが流行はやり始めたのは、原監督前政権のときだったか(06~15年)。原監督があのパフォーマンスをするたび、おそらく私は苦虫をかみつぶしたような顔をしていたはずだ。

私の時代、監督のパフォーマンスで思い出すのはロッテ・金田正一監督だ。三塁コーチャーに立ち、片足を高く蹴り上げるような大げさな動きが「カネやんダンス」と呼ばれた。カネやんのそうした言動を楽しみに、球場へやってくるファンもいたそうだ。あれはピッチャー出身ならではの、目立ちたがりのパフォーマンスだと私は思う。

19年の原監督は、「原点回帰」と「のびのび野球」を標榜したそうだ。野球の原点は、のびのび楽しむこと。勝って喜び、負けて悔しがる。自身がそう言った手前、先陣を切って実践しているのか。今やグータッチだけでなく、丸の「丸ポーズ」まで選手と一緒にキャッキャッと加わるようになってしまった。私に言わせれば、あれはパフォーマンスどころかスタンドプレーである。

私は、監督は自軍のプレーに一喜一憂すべきではないと考えている。監督は選手の応援団ではない。監督はどんなときでも冷静に、次の局面を考えておかなければならないのだ。出迎えは、ベンチの選手に任せておけばいい。

初回無死でクリーンアップにバント指示

名監督と呼ばれたい、大監督と呼ばれたい。そんな気持ちが原采配の随所にあふれている。

とにかく、よく動くのだ。動き過ぎるほど、動く。まあそれで結果的にうまくいけば、「原采配的中!」と大きな見出しになるから、嬉しくてたまらないのだろう。キャッチャーを固定しないのも、その1つ。1ボール後の代打も、4番にバントもそうである。