クルアーンに「アッラーが法人を造った」と書いていない

なぜ、法人を認めないのか。クルアーンに、「アッラーが法人を造った」と書いてないからだ。アッラーが造らなかったものは、存在しない。存在すれば、偶像(存在してはならないもの)である。

よって、イスラム教には、教会がない。企業がない。政府もない。ビジネスは、個人がやるのが原則である。

キリスト教では、法人があってよい。第一に、教会があってよい。新約聖書に書いてある。イエスが教会の頭である。「みんな、手足となって、教会につながっていなさい」ということだ。「これを真似して、政府をつくろう」となる。社会契約説である。憲法という契約によって、政府をつくる。近代の主権国家ができる。キリスト教徒のやり方だ。

植民地の時代が終わってから生じた問題点

さて、キリスト教徒が、ぐるっと世界を見渡すと、主権国家をつくっていない人びとが多かった。彼らは遅れている。「主権国家がつくれないなら、代わりに政治をしてあげましょう」。これが植民地だ。

イスラム世界にも、キリスト教文明の列強が入ってきて、植民地の分捕り合戦をした。

キリスト教徒は、戦争が強い。イスラムの人びとは、仕方がないと我慢した。

植民地の時代が終わって、独立することになった。ここからが、問題だ。イスラム文明には、人類の部分集団が、政府をつくって独立してよい、という考え方がない。ではどうやって独立しよう。

ひとつのスタイルは、イスラムのことは忘れて、西欧キリスト教文明の流儀で、国家づくりをすることである。ナショナリズムや、社会主義だ。うまくいっているあいだはいいが、ちょっとつまずくと、「イスラム教徒の幸福にならない」→「背教者」→「追い払ってよい」になってしまう。

もうひとつのスタイルは、伝統的なやり方である。

族長の支配は、イスラム法で認められている。そこでどこかの族長がかつぎ出されて、政府をつくる。近代的でも民主的でもない。でもそれなりに安定する。サウジアラビアやアラブ首長国連邦のやり方だ。イスラム革命を起こしたイランも、このスタイルだと言える。

けれども、よく考えてみると、国境があって独立国、というところがもう、イスラム法を逸脱している。ISのように、国境を無視して「オレがカリフだ」と主張するほうが、無茶だが、イスラムらしく見えたりする。

イスラム文明の問題点。「イスラム法があるので、大丈夫」と考えるところが、ほかの文明の人びとには受け入れにくい。

しかし、イラスム教徒は、商人だった。取引相手は、キリスト教徒だったり、ヒンドゥー教徒だったりした。国際法や慣習法に従って、異教徒と共存してきた歴史がある。この歴史が、今後の足掛かりになるのではないか。

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