10年前には「次の元号の原案」ができている

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元号の案を考える人と、それを精査する人がそれぞれ別に存在していることは、意外と知られていないのではないか。選定の細かな手法は異なるかもしれないが、政府が有識者に案を出してもらい、評議して決めるという大筋の流れは明治より前も明治以降も変わりはないと言えるだろう。

では、現在はどのくらいの期間をかけて元号を決めているのか。おそらく、平成に改元された時点で、すぐに誰かに委嘱されていたものと思われる。そうすると、10年前にはもう原案が上がっているだろう(2018年3月5日付の朝日新聞記事「改元直後からリスト準備」には、元政府関係者のそういった証言が掲載されている)。本書発売の頃には天皇にも知らされているはずだ。

元号決定のための精査や評議は、間違いのないように慎重を期すため、天皇が崩御してから始めるのでは時間が足りないことは明白だろう。新元号になった瞬間に、次の改元に向けた準備は始まるのだ。

かつては「4文字の元号」も存在した

元号法成立と同時に、新元号の具体的な選定法について「元号選定手続に関する要領」が定められた。この要領には、次のような留意事項がある。

1.国民の理想としてふさわしいようなよい意味を持つものであること
2.漢字2字であること
3.書きやすいこと
4.読みやすいこと
5.これまでに元号またはおくり名として用いられたものでないこと
6.俗用されているものでないこと

現在は、この要領に基づいて元号は決められている。そのため、元号は2字と限定され、難しい漢字も使えない。

かつては、「天平感宝(てんぴょうかんぽう)」や「神護景雲(じんごけいうん)」といった4文字の元号も奈良時代には5例ほど存在し、「霊亀(れいき)」といったかなり書きにくい元号もあったことを思うと、わかりやすい2文字の元号のみというのは、元号の枠を狭めているようにも思われる。

元号法が成立したのは昭和であり、日本古来の元号の伝統という面から考えると、わかりやすい2字というのは、すぐれて新しい解釈だと言わざるを得ないだろう。