「辞めないこと、諦めないことが大事ですよ」
現在加藤は、92歳になる母親と愛犬レディーと暮らしている。
【加藤】「性格がキツイところが(母と)似てる。(私は)お嫁にもいってなくてどうしようもないよな(笑)」
母は大学の先生で父は開業医。その背中を見て医者を志した。「健康そうだから」と、脳神経外科を勧められた。理屈はよくわからなかったが、手先が器用な加藤に、緻密さを必要とするこの仕事は向いていた。しかし、当時は女性の脳神経外科医がほとんどおらず、逆風は強かった。
【加藤】「女性のあなたには手術をしてほしくないと言われたこともある。でも辞めないこと、諦めない事が大事ですよ」
自らの経験を教訓に、女性医師が結婚や出産後も仕事を続けられる環境を整えようと、日本脳神経外科女医会の発足などにも尽力している。激務のかたわら、後進の育成にも精力的に動き回る姿は若い女医や看護師たちにとっての鑑でもある。
【岡山大学病院総合内科 片山仁美医師】「すごい励みになるし、背中を押してくれる存在です」
毎年20カ国で講義をしている
2018年冬、加藤はウズベキスタンの病院に招かれた。現地では若い医師への講義に加えて、実際に脳動脈瘤の患者の手術をする予定が組まれていた。こうした講義を毎年20カ国で行っている。脳神経外科の分野において、「加藤の手術を直接見て学ぶことに勝る勉強はない」と言われているからだ。
手術の模様は、院内に中継される。現地の医療スタッフは、その一挙手一投足を見逃すまいと必死でモニターを見つめていた。
【加藤】「みなさん見えました? クリップ用意して」
患者は、数カ月前に一度くも膜下出血を起こしており、現在も2mmを超える脳動脈瘤がある危険な状態だ。少しの刺激で破裂する恐れがあり、決して簡単ではない手術だった。だが、手術を終え「バンザイ。紅茶飲もうか」と手をあげる加藤からは、余裕すら感じられた。
こうした途上国への支援のほとんどを、加藤は手弁当で行っている。
日本に帰国すると、今度はかつての患者たちが待ち構えていた。加藤に命を救われた人たちが、定期的に慰労会を開いているのだ。
【患者】「先生ありがとうございます。命を助けていただきました」
【加藤】「ちょっと大げさです」
なかには、涙ながらに感謝の気持ちを述べる人も。だがここでも加藤は気を回し、「ネギとかどうですか? 食べなきゃ」などとユーモアを交えながら患者をいたわる。そんな一面も、ゴッドマザーと呼ばれるゆえんなのだろう。
そして今日も、加藤は誰かの命を救っている。その後ろ姿から、スーパードクターの雰囲気など感じさせることなく……。
脳神経外科医
1952年愛知県生まれ。1978年愛知医科大学医学部卒業。2006年藤田保健衛生大学医学部 脳神経外科で日本初の女性教授となり、2012年には日本脳神経外科学会で初の女性理事に選出。自らの経験を教訓に女性医師が結婚や出産後も仕事を続けられる環境をと日本脳神経外科女医会の発足などにも尽力し、現在も週三回以上の手術をこなしながら後進の育成にも力を注いでいる。2014年に藤田保健衛生大学坂文種報徳會病院に勤務地を移し、脳血管障害を中心とした部門である脳血管・ストロークセンターを設立しセンター長を務める。2016年藤田医科大学ばんたね病院院長補佐、現在に至る。