コーヒーマシンの改良も進む

ただし、コンビニコーヒーも次のステージに来ています。たとえば「ローソン」のマチカフェは、2014年5月から数量限定で「シングルオリジンコーヒー」の販売を開始し、高価格帯の先鞭を切りました。さらに2018年からは「パナマ ベイビーゲイシャ」、「ハワイコナアイスコーヒー」、「ブルーマウンテンNo.1」と500円コーヒーのシリーズを展開。今年1月11日から販売した「ティピカ スペシャルリザーブ パナマ・ベルリナ農園」は、仕入れ価格がキロ当たり1万円近くもする超高額品。それが500円で飲めるのです。

一方各社は、コーヒーマシンの抽出時間の短縮化に取り組んでいます。朝の出勤前、オフィスに持ち込むコーヒーの購入先が、職場近くのセルフカフェからコンビニが中心となり、クイック提供を求められるからです。

「スターバックス」が変えたもの

――31年の平成年間には、「スターバックス コーヒー」の上陸と浸透もありました。

日本第1号店が開業したのは1996(平成8)年8月2日です。銀座の老舗百貨店・松屋の裏にできた「銀座松屋通り店」で、私も取材に行きました。

開店前夜の東京は、台風の猛烈な風雨で「明日はどうなるのだろう」と案じていたら、当日は台風一過の猛暑日で、不快指数の高い日でした。米国本社からはハワード・シュルツCEOと海外事業担当のハワード・ビーハーの両氏が立ち会いました。北米以外で初の海外出店。黒のタキシードで正装した2メートル近い長身のシュルツ氏が汗だくで動きまわっていたことを覚えています。

「米国流のコーヒーショップが、日本でどうなるのか」と思っていたら、第3号店(東京駅八重洲地下街)の出店あたりから客数が増加し、「これは新たなブームになりそうだな」「10年前のチボーとは違うな」と思いました。ドイツ最大のコーヒーチェーン・チボーは、大手流通資本と合弁会社を設立、1987(昭和62)年10月に吉祥寺へ第1号店を開業しました。1杯120円と、当時快進撃中の「ドトールコーヒーショップ」より低価格で挑みました。しかし出店数は3~4店舗止まりで数年後に撤退しました。

スターバックスも日本進出に際し、大手流通や金融資本から合弁設立の勧誘を受けましたが、最終的にはサザビーリーグの角田雄二さんを選びました。同じ目線で顧客と向き合う姿勢、身の丈に合った提携先の選択がその後の隆盛となったのです。米スターバックスの原型となった米ピーツコーヒーは、聘珍樓(本社横浜市)と合弁会社を設立、2002年に南青山へ日本進出1号店を開業しましたが、こちらも3店舗止まりで撤退の憂き目にあいました。提携先の選択肢がどれだけ重要であるかを物語っています。