高度経済成長期に世界と戦えていた理由

戦後から続いた高度経済成長期は、リノベーションでも世界と戦うことができていました。なぜなら、当時は勝てる要因がいくつも重なっていたからです。

クリスチャン・マスビアウ『センスメイキング』(プレジデント社)

要因のひとつは、言うまでもなく人口増加でしょう。戦後の半世紀で5000万人もの人口増加がもたらされた時代ですから、今とは消費の力が違い、国内需要頼みでも世界と戦う競争力を身につけることができました。

加えて、“メインバンク制”も有効だったと考えています。戦後間もない頃、日本で資本を持っているのは銀行だけでしたから、銀行の力がなければ列強諸国によって支配されかねない状況。そこで日本の銀行がメインバンクとなって資本を投入したことで、日本の企業は生き残り成長することができました。

しかも、メインバンクとなる銀行は、株主になっても企業に対して利益の還元を積極的に求めず、株主総会も波風立たせずに済ませることが美徳とされてきましたから、企業は将来の収益を生み出す設備投資に資金を振り向けることが可能となりました。

日本では、あらゆる産業の利益率がグローバルスタンダードと比較して圧倒的に低いのですが、この理由は利益が低くとも株主から文句が出ないメインバンク制に起因していると見ています。

もはや「ニッポン株式会社モデル」は有効ではない

日本の労働者の賃金が非常に低かったことも、経済成長に寄与したと考えて間違いありません。とくに戦後間もない頃は、非常に低い賃金で日本の労働者は働いており、しかも日本人特有の真面目な気質もあったことから、経済成長の原動力となったはずです。この点においては当時の教育システムもうまくマッチしていたと言えるのではないでしょうか。

これだけの条件がそろえば、いい品質のものを安く作る、リノベーションだけでも世界と戦うことができます。当時は優秀なマネジメントや本格的なマーケティングも必要としないほど条件は恵まれていたのです。私はこうした人口増加を前提としたモデルを「ニッポン株式会社モデル」と呼んでいますが、当時においては素晴らしい戦略だったと考えています。

しかし、労働力のコスト優位性がなくなり、人口増加もストップした今となっては、ニッポン株式会社モデルではもはや世界と伍していくことはできません。イノベーションを生み出す新たなやり方を探し、マネジメントやマーケティングにもあらためて目を向けなくてはならないでしょう。