捕鯨支持国はIWCの加盟国の半数近くいた

混乱続きだった2018年の政治は最後にサプライズが待っていた。日本が国際捕鯨委員会(IWC)から離脱したのだ。

商業捕鯨再開を目指してきた日本の考えは、国際社会の中ではなかなか理解が広がらなかったのは確かだが、日本はいつから、意に沿わない相手と交渉するのを打ち切って協議の席を立つような国になったのか。日本外交は、唯我独尊的に振る舞うトランプ米大統領に「米国第一」に似てきたようにもみえる。

北西太平洋での調査捕鯨で、北海道の釧路港に水揚げされたミンククジラ。(写真=時事通信フォト)

「異なる意見や立場が共存する可能性すらない」

昨年12月26日、政府は菅義偉官房長官談話を発表した。談話は「今年9月のIWC総会でも、鯨類に対する異なる意見や立場が共存する可能性すらないことが残念ながら明らかになった」と極めて激しい内容となっている。

IWCでは商業捕鯨を再開したい日本などの捕鯨支持国と、反捕鯨国の間で膠着状態が続いているのは事実だ。しかし昨年8月段階の水産庁データによると、IWC加盟国のうち捕鯨支持国は日本、ロシア、韓国など41カ国。反捕鯨国はオーストラリア、米国、英国など48カ国。反捕鯨国の方が多いが、それでも支持国も半数近くいて拮抗している。

菅氏の談話にあるように、「異なる意見や立場が共存する可能性すらない」というような勢力分布には思いがたい。それを、あっさり見切って捨てたことになる。

よみがえる「国際連盟離脱」の苦い記憶

日本が国際機関から脱退するケースは珍しい。日本人なら1933年、日本が国際連盟を脱会したことを思い出さずにいられない。当時の松岡洋右首席全権が「国際連盟と協力する努力の限界に達した」と発言して総会の会場を去った話はあまりにも有名。その後、日本は坂道を転げ落ちるように戦争への道を進んでいった。

松岡の「努力の限界」発言と官房長官談話の「共存する可能性すらない」。どこか重なるように聞こえるのは考え過ぎだろうか。

戦後日本は、良きにつけ、あしきにつけ国際協調主義に徹してきたはずである。時には妥協を重ね米国などに押されっぱなしで「軟弱外交」という批判も受けたが、それによって国際社会の信頼を築いてきた。その伝統が崩れた。