「自虐教育」を受けても憂慮される人生にはなっていない

しかし、果たして私自身がそうであったように、仮にこの教育方針を自虐教育とするならば、私はそれに従順だったのかと言えば、結果として真反対の人間になった。

憲法九条についてはその二項を削除・修正して国防軍を創設する。対外関係にあっては対米自立を指向し、強力な自主防衛を貫徹し、その達成のためには核武装も辞さず、当然防衛予算を増強する。先の戦争についての評価は、満州事変以降の日本の大陸侵略は間違った国策だったが、日米戦争にあっては自衛戦争の側面を認め、むしろ石原莞爾のような洋の東西の文明衝突的価値観から捉える云々──。

こうして私の現在の思想を振り返ってみると、中山の言う「自虐教育」の最前衛とも呼べる地域で六・三・三の十二年の教育を終えたが、「本当に幸せな、豊かな人生を送れるとは到底考えられません」(前掲書)と憂慮されるような人生に至っているという自覚は無い。

私は、個性とは学校教育の外部から発生するものであり、学校教育は後年の人格を規定せず、むしろ学校教育での強制は学童に真反対の効果を与える、と思っている。

学校教育で強制される「上からの規格」は、往々にして反発を生み、そこから逸脱する存在を大量に生む。人間とはそういうものだと私は思っているし、事実そういう事例を山ほど見てきたが、どうも中山の人間観、子供観と言うものはそうではなく、「上から教わったものをそのまま受容する」極めて規格的な人間が、一切抵抗することなくそのまま後年の人格を形成すると想っているようだ。

私はこの感覚がよく分からない。みんな、そんなに少年期に教わったとされる学校教育の内容に従順なのだろうか。私は中学校の社会科教師があの戦争について何を言ったのか、全く覚えていないが、成人してから読んだ「真っ当」な歴史研究者の本の内容の方に圧倒的に強い影響を受けている。

「本来の日本」はどこに存在するのか

戦後シンドロームの存在を前提として、「本来の日本を取り戻したい。取り戻さなければ」と決意するのは結構だが、「本来の日本」とは何処に存在するものかは、中山の世界観からはよく分からない。うっすらとそれが戦前の一時期にあるようであるのは、中山の著書の中から類推されるが、中山は1940年生まれで終戦当時5歳。中山自身が言うように、中山自体が「コミンテルンによる自虐教育」を受けてきた世代であるはずだ。中山の言う「本来の日本」が仮に戦前にあるとして、中山自身はそれを体験していない。

もしかしてその「本来の日本」とは、「乳と蜜あふれる約束の地」(旧約聖書)のように、これまでの日本人が一度も手に入れた事の無い理想郷であるならば、それはやはりマトリックス史観の一種で、SFの領域であると言わなければならない。