拉致問題を担当したことで、保守派からの人気を集めた中山恭子氏に、厳しい視線が注がれている。日本のこころから離党した昨年9月に、同党支部の政党交付金約2億円を自らの政治資金団体に移していたことが明らかになったのだ。中山氏に対し、かねてから疑問を呈してきた文筆家・古谷経衡氏は「『本来の日本を取り戻したい』と言うが、『本来の日本』が何処に存在するものか、よく分からない」と指摘する――。

※本稿は、古谷経衡『女政治家の通信簿』(小学館新書)の一部を再編集したものです。

硬直した「マトリックス史観」の持ち主

中山恭子 元拉致問題担当大臣
1940年生まれ。東京都出身。夫は文部科学大臣などを務めた中山成彬。東京大学文学部卒業後、大蔵省入省。退官後、在ウズベキスタン特命全権大使、内閣官房参与、首相補佐官を経て、2007年参院選にて当選(自民党・比例)。その後、日本維新の会、次世代の党などを経て、現在は希望の党顧問。
画/ぼうごなつこ

中山からはマトリックス史観を強く感じる。マトリックス史観とは、「現実の世界や現実の社会、現実の日本というのは嘘の存在である。この世界は、『左翼勢力』『反日勢力』に遮蔽されているだけで、私達の知らない本当の日本というものがあり、それに目覚め、あるいはそういった『真の日本』を認識して、それを取り戻さなければならない──」というものだ。

中山の著書『国想い 夢紡ぎ』(万葉舎、2011年)には、中山の硬直したマトリックス史観を随所にうかがう事ができる。

 
〈平和の維持、自由主義の堅持を基本として、今なすべき事は、戦後シンドロームからの脱却です。(中略)ウズベキスタン共和国のカリモフ大統領が、「日本は戦後シンドロームから抜け出して世界に大きく貢献するときに来ている(後略)」と発言されました(注*中山は小泉政権時代、ウズベキスタン大使だった)。それまでにも、戦後シンドロームと言う言葉は幾度も聞いていましたが、このとき「本来の日本を取り戻したい。取り戻さなければ」と強く心に刻みました〉

「戦後シンドロームからの脱却」を教育に求める

戦後シンドロームとは、直訳すれば戦後症候群となる。私は戦後シンドロームという言葉をあまり聞いたことは無いが、中山は「戦後シンドロームからの脱却」を、とりわけ教育問題に絞る。日本教職員組合を戦後ソ連のコミンテルンの支持を受けて勢力を拡大した組織、と定義した上で、

〈日教組による反日、自虐教育が終戦直後から現在まで長期に亘って行われているという極めて憂慮すべき事態が、現に目の前にあることを認識しなければなりません。現在の教育問題はここに原点を発し、日本を蝕んで来ました。子供達の将来を考えると、心が震えるほど心配になります〉

としている。このような教育というのは、「日教組による反日的自虐教育」「ゆとり教育」「日本語教育の不備」と指摘している。この日教組に対する不信は、中山の夫・中山成彬にも共通の世界観であり、中山夫妻共通の思想である。

かくいう私も、義務教育において、中山の言う「自虐教育」ともいうべきカリキュラムに親しんできた。私の地元は北海道教職員組合の組織率が強く、伝統的に社会党のイデオロギーが強い地域であった。