※本稿は、古谷経衡『女政治家の通信簿』(小学館新書)の一部を再編集したものです。
昭恵夫人とはいったい何者なのか
1962年生まれ、東京都出身。聖心女子学院で幼稚園~高校を過ごす。聖心女子専門学校英語科卒業後、電通雑誌新聞局に勤務の後、87年、安倍晋三と結婚。第一次安倍政権が終焉した後から、積極的に社会活動に参加。夫とは異なる独自のコミュニティを築く。森永製菓創業者の血筋を引き、父も同社の社長を務めた。
安倍昭恵は政治家ではないが、到底私人ではない。さらに、目下、安倍政権を揺るがす疑惑のキーマンであることからしても、彼女を論評する必要はあると考える。私は、彼女を「スピリチュアル右翼」として捉えている。
大阪府豊中市の一介の小学校認可を巡る問題にすぎなかった森友学園疑惑が、「忖度」などという言葉を用いて安倍政権と関連づけられて、そののち1年を経て世界の報道機関にまで速報され、5年半続いた安倍政権の根幹を揺るがす「森友学園文書改竄問題」に発展した根源は、一にも二にも安倍昭恵夫人(以下、昭恵夫人)が同校の名誉校長に就任していた事実からである。
昭恵夫人とはいったい何者なのか。2015年に海竜社から刊行された安倍昭恵著『「私」を生きる』の中にその端的な答えがある。第一次政権時代、昭恵夫人は夫(安倍晋三)の言う世界に対し無批判で、夫の後に三歩遅れてついてくることを善とする「古いタイプ」のファーストレディであった。
無添加無農薬の食材を使った居酒屋「UZU」
しかし、そうした価値観は第一次安倍内閣が総辞職した事で一変する。昭恵夫人は同書の中で、「学歴コンプレックスがあった」と告白。「安倍晋三夫人」として世界各国のファーストレディと渡り合う中で、「私には学歴も中身も何もない(昭恵夫人は専門学校卒)」と恥じ入り、遅ればせながら猛烈なコンプレックスを自覚したという。
昭恵夫人の転換はここから始まる。社会人入試で立教大学大学院に入学、その過程でミャンマーの農業支援に夢中になり、「土」に異様な執着を見せる。
昭恵夫人が自ら経営する無添加無農薬の食材を使った居酒屋「UZU」の開店計画が持ち上がるのもこの時期である。そこにあるのは「意識高い系」とよばれる、承認欲求に特化した連中に典型的なように、「抽象的で多幸的な概念」に浸る自分への陶酔と、そしてその陶酔の姿を他者に喧伝することで得られるお手軽な承認への快感である。