なぜ滅多なことでは動じなくなったか

──ラグビーはチームプレーで成り立っていますね。会社の組織に通じるところはありますか。

チームプレーであると同時に個人プレーでもあるんです。個々が強くなければチームは絶対に強くならないし、いくら個々が強くてもチームワークが弱ければ強いチームにはなりません。

よくたとえ話をするんです。トライを決めた人には当然スポットライトが当たる。でも、私がいちばん価値があると思うのは、果敢に相手に突っ込んでいって、ラックの中で自分はグジャグジャにされて、時にはスパイクで踏みつけられながらも歯を食いしばって耐えて、味方に生きたボールを最初に出すプレーです。その人の最初のプレーがなければ別の人のトライに結びつかないわけですから。

いわば、一隅を照らしている人。私はこの言葉が好きですし、当社でも一隅を照らす働きをした人をきちっと評価する仕組みをつくっています。もちろん、トライを決めた人、つまり知恵とフットワークを使い、執念を持って最後に立派に成果を出した人もしっかりとフェアに評価する人事システムとなっています。

──銀行マン時代、改革の4人組と呼ばれるうちの1人でしたね。

1997年に当時の第一勧業銀行で利益供与事件が発覚して、8人の取締役全員が退任して、社内はガタガタになりました。私は企画部の副部長だったんですが、平時ならとてもやらないような仕事をしました(笑)。3カ月近く家にほとんど帰れず、午前4時ごろまで仕事をして、ホテルでシャワーを浴びて、ベッドに倒れるように1~2時間の仮眠をとって、また仕事に戻る。かなりのハードシップで体重も激減しました。

ただ、あのような修羅場を乗り切ったことは、私にとっては大変な自信になりましたし、それから滅多なことでは動じなくなりましたね。度胸がついたかもしれません(笑)。だから、信用不安が極大化して世間の風当たりが非常に強かった西武グループに05年2月1日に来たときも、その経験が精神的に私の強みになっていたといえるかもしれません。

──社内にいては困る社員像というものはありますか。

一言でいえば、新しいことをやろうというときに、非協力的で、足を引っ張る人ですね。そういう人が多いと、組織はだんだん腐っていく。西武グループでは「挑戦すること」を理念のひとつとして宣言していますが、挑戦をしていかなければ新しい発想も生まれません。新しいことに挑戦するには大変なエネルギーがいるし、ストレスもかかって摩擦も起きる。だからこそ執念が必要です。