高コスト体質を是正した新たな賃金決定

では、こうしたスウェーデンの産業再生の成功の理由は何か。前出のフレドリック・ヘイマン氏が共著者である論文(※4)に基づき、筆者なりの考えも踏まえて整理してみよう。

第1は、全般的かつ包括的な規制緩和が実施されたことである。1980年代、社民党政権のもとで航空、電力、郵便などの規制緩和の必要性の調査は十分に行われており、政府白書にもその概要は示されていた。加えて、先にふれたリンドベック委員会の提案を受けて1991年に政権を奪取した中道右派連合政府は、徹底した規制緩和路線にかじを切る。その結果、OECDが算出している「サービス・公益部門の規制により製造業部門に追加的に発生しているコスト」の大きさは、90年代に入って劇的に低下し、90年代末から2000年代にかけては、米国を下回るまでになった。

第2は、労働市場改革である。1974年の雇用保護法の制定による解雇コストの上昇や、1980年代の賃金決定方式の産業別分権化に伴う賃上げ圧力の高まりにより、スウェーデンの労働市場は高コスト体質になっていた。しかし、1992年には人材派遣や有期雇用に対する規制緩和が行われ、1997年には国際競争力を考慮に入れた賃金決定に関する新たな労使合意が締結され、高コスト体質は是正されていった。とりわけ、新たに形成された賃金決定の仕組みは、国際競争力に配慮しつつ賃金上昇率を生産性向上率に連動させる巧みな仕組みである。2008年のリーマンショック以降、多くの先進国で労働分配率の低下がみられ、生産性が低迷するなか、ひとりスウェーデンが労働分配率を安定させて、生産性向上と賃上げの好循環を維持できていることにつながっている。

第3は、コーポレートガバナンス改革である。戦後のスウェーデンの経済は、既存産業と社民党、そしてブルーカラー労働組合による「鉄のトライアングル」によって支配される状態が続き、徐々にダイナミズムを失っていた。しかし、1990年代には、政権交代がこの「鉄のトライアングル」に楔を打ち込んだほか、コーポレートガバナンス改革が行われ、スウェーデン企業の株式保有に占める外国人投資家の割合は、1989年の7%から10年後には40%にまで跳ね上がった。

そうしたもとで、法人税率の思い切った引き下げもあり(日本の実効税率29.74%に対して、スウェーデンは22%)、対内直接投資が急増する。その過程で外国資本は多くの国内企業を買収し、米国企業を中心とした効率的な経営手法が導入され、地方企業も含め、この間にスウェーデン企業の生産性は大きく上昇した。

(※4)Fredrik Heyman, Pehr-Johan Norbäck and Lars Persson, “The Turnaround of Swedish Industry: Firm Diversity and Job and Productivity Dynamics” IFN Working Paper No. 1079, 2015. Fredrik Heyman, Pehr-Johan Norbäck and Lars Persson, “The Turnaround of the Swedish Economy: Lessons from Business Sector Reforms” IFN Policy Paper No. 73, 2015.

変化に適応しようとする個人を支援

以上の3点はヘイマン氏らの論文が指摘していることに基づくが、それは経済学の考え方に忠実にさまざまな改革を着実に実行に移したことが成功の理由であることを物語る。しかし、海外がそのスウェーデンに学ぶ際、スウェーデンの研究者が当然と考えている、同国特有の社会の在り方や考え方にも同時に学ぶ必要がある。それを4つ目以降の項目として加えれば以下の通りである。

第4に、個人の変化への適応を支えるさまざまな仕組みの存在である。スウェーデンは、最初に積極的労働市場政策を本格的に導入した国として知られるが、そのコンセプトは小国が生き残るには時代に合った不断の産業構造転換が不可欠であるとの認識に基づく。その過程で、衰退産業部門から成長産業部門に人材をシフトさせる必要が出てくるが、それを職業訓練で手厚く支援するというのが積極的労働市場政策の意味合いである。