ディーンはまず「12分でやるなんて、18歳のとき以来ですよ」と、ジョークで場を和ませ、笑いを誘うと、ミッドフィルダーの大スター、デイヴィッド・ベッカムが出演するビデオ映像のスタートの合図を出した。映像では、イングランドには空港やホテル、幹線道路はもちろんのこと、すでにじゅうぶんな数の最新式スタジアムがあり、すぐにでもワールドカップを開催でき、建設の必要がないことがアピールされた。

英国の報道陣はいつになく楽観的になり、このプレゼンはイングランドの勝ち目がある証であり、専門的な技能、既存のインフラ、それに強みである総合力が勝利をもたらすだろうと絶賛した。

しかし、ロシアは別の試合を戦っていたのである。

FIFA会長とのロシア大富豪の密談

ヨハネスブルグでおこなわれたCONCACAF会議の2日後、FIFAは“招致博覧会”と銘打ったイベントを開催した。これはワールドカップのための見本市のようなもので、2018年と2022年の主催権を競う19カ国すべてに、世界じゅうのサッカー関係者たちと会う機会を提供する催しだ。特に、理事のほぼ全員と交流する機会でもある。

ケン・ベンシンガー『レッドカード 汚職のワールドカップ』(早川書房)

その数時間前、ロシアの億万長者ロマン・アブラモヴィッチがヨハネスブルグのギャラガー・コンベンションセンターにはいっていった。アブラモヴィッチはイングランドのサッカークラブ、チェルシーのオーナーで、ロシアの第一副首相イーゴリ・シュワロフとともに、その日プライベートジェットで到着した。

高校を中退し、自動車修理工や商品売買をしていたアブラモヴィッチは、ボリス・エリツィンの強力な後ろ盾を得て財を築き、ロシア最大手の石油グループ、シブネフチを管理するようになった。その後、エリツィンの後継者としてウラジーミル・プーチンを支持し、その忠誠心に対し多額の報酬を得た。

熱烈なサッカーファンであるアブラモヴィッチは、イングランドで最も伝統あるクラブのひとつ、チェルシーを2003年に買い、ロシアの不動産の多くを売却した5年後にロンドンへ移り住んだ。ロシアを離れた多くの新興財閥とはちがって、アブラモヴィッチはプーチンと親密な関係を保った。

デイヴィッド・ベッカムと一緒におどけて見せた

クレムリンを頻繁に訪れていた彼にとって、その元KGB将校は父親のような存在であり、礼儀正しく敬意のこもった口調で話した。そうした情報にくわしい人々のあいだでは、特別な頼み事をするために、プーチンがときおりアブラモヴィッチを訪ねることはよく知られている。

億万長者というのはとにかく待つことをきらう。しかし、招致博覧会がはじまると、ふだんは内気で内向的なアブラモヴィッチが、いつものジーンズではなくオーダーメイドの濃灰色のスーツ姿で、いつになく上機嫌に愛想をふりまいた。

アブラモヴィッチは無精ひげの生えた口もとに笑みを浮かべ、同胞たちの招致団に加わった。ロシアのブースにはイングランドのサッカークラブ、アーセナルの花形フォワード、アンドレイ・アルシャヴィンもいて、世界じゅうのサッカー関係者に挨拶をし、デイヴィッド・ベッカムといっしょにカメラに向かっておどけた顔をしてみせた。