なぜ日本人だけに戸籍を認め、外国人を無視するのか?
今の日本政府の対応のように、外国人には戸籍を認めずに、日本人夫婦のみに同姓を要求し、外国人と結婚した夫婦の一体性はどうでもいいというなら、上記(2)にあるような戸籍の家族の一体性確保の機能は強調せずに(3)の理由を掲げなければなりません。しかし(3)は無理やりの理由で、なぜ結婚した夫婦に個別の戸籍(2つの戸籍)を与えてはいけないのかについては何の説明にもなっていません。
繰り返しになりますが、戸籍に家族の一体性確保の機能を強調しながら、国際結婚が多くなってきた現代社会において外国人には戸籍を認めないというのは、僕の嫌いな(笑)自称保守インテリたちの論理破綻の主張です。
日本人だけに戸籍を認め、そして戸籍による家族の一体性を求める。結局日本人だけの家族の一体性が確保できればよくて、外国人のことは知らん顔。
戸籍による家族の一体性を強調するなら、外国人と結婚した夫婦の家族はどうするのか? そうであれば外国人にも戸籍を認めるのか?
僕はここに、今の日本の戸籍制度の時代終了性を感じており、戸籍廃止論、次善の策としての個人戸籍論を持論としています。戸籍を廃止してもマイナンバー制度で新たな管理制度をしっかりと作れますし、むしろそのような方向性を目指すべきです。
ここで誤解がないように念のために付言しますが、国籍と戸籍は本来全くの別物です。今は壬申戸籍以来、日本国籍と戸籍が一体化していますが、そこに必然性はありません。国籍は国籍、戸籍はあくまでも管理簿です。今は、住民基本台帳に外国人も記載されます。戸籍とはもともとそんな程度のものです。
これ、法理論的には最先端の議論です。
【足立康史】そもそも戸籍における姓=氏というのは、戸と呼ばれる家族単位のインデックスに過ぎません。
・家族単位のインデックスを維持しながら、別姓に法的効力を認める足立案
あるいは
・家族単位のインデックス=戸籍を廃止して、番号制度だけで個人を登録していくのか
改革は2つに1つのように、私には思われます。
(略)
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※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.92(2月20日配信)を一部抜粋し簡略にまとめ直したものです。もっと読みたい方は、メールマガジンで! 今号は《【シリーズ:激論】日本維新の会・足立康史議員も参戦! 夫婦別姓をどう考える?(その1)》特集です!!