これに関連して、日本と朝鮮半島二国、特に韓国との摩擦の背景にあるのも、日韓両国の人々が互いに異なる「文明」圏域に身を置いていると認識せずに、互いに自らの基準によって互いを判断する傾向に走っている事実であろう。このことを理解する上で有益なのは、ロー・ダニエル(政治経済学者)の近著『「地政心理」で語る半島と列島』(藤原書店刊)である。ローも書中、中世封建制の有無という観点から日本と朝鮮半島における文明上の相違を指摘しているのである。

「日本と中国・朝鮮半島は互いに相似た空間である」という予断に縛られ、その予断が裏切られることの反動として、互いに対する不信と反発、嫌悪の感情を募らせる。これが現下の東アジア情勢の深層を流れる「心理」であるならば、その弊害は甚だ大きかろう。

アイデンティティとしての「価値観外交」

「中国との距離」を適切に測りつつ、中国と向き合うためにも、対米同盟という対外政策上の「軸足」を徹底して固める姿勢が、日本にとっては大事になる。これは、本稿「破」編でも指摘したように、米国という一つの国家との提携を意味するのではなく、自由、民主主義、人権、法の支配といった「西欧」文明世界の流儀に対する共鳴を示している。そして、これは、日本の人々が中世封建制に淵源(えんげん)を持つ自らの足跡に照らし合わせてふさわしくない振る舞いに走らないという姿勢を表しているのである。

故に、安倍晋三第二次内閣発足以降、「積極的平和主義」や「地球儀を俯瞰する外交」の概念の下で披露されてきた対外政策展開は、それ自体としては決してユニークなものではない。この流れに沿って、直近では、「インド・太平洋」戦略と称される日米豪印4カ国提携の枠組みが始動しようとしている。

豪州が米国と同様に「西欧」文明世界の後嗣であるとは、誰でも指摘することである。インドは古来、「西欧」文明世界とは異なる独自の文明世界を成してきたとはいえ、それでも長年の植民地統治を経て「西欧」文明世界の影響を受けた事情は否定しようがない。インドが「世界最大の民主主義国家」として語られることの意義は、インド社会におけるもろもろの負の様相を脇に置いても、決して軽視されるべきではないであろう。

こうした対外政策構想の展開は、日本の人々にとっては、ただ単に「対中バランシング」の政策対応なのでなく、「自分が自分である理由」を確認する縁として、位置付けられるべきものなのではなかろうか。