振り返れば、第一次世界大戦とロシア共産主義革命を経て世界大恐慌の最中にあった1930年代にも、「西欧」文明世界は、自由と民主主義に係る自らの信条を動揺させていた。現在では『二千五百年史』や『新日本史』といった史書の著者として名を残す竹越與三郎(ジャーナリスト・歴史家)は、その1930年代の空気の中で次のように記した。
「欧州大戦の後を受けて世界は今や動蕩、混乱の最中である。然(しか)しながら近世文明を樹立したる文明人は、必らず、その国家社会を再建するであろうということは、余の信じて疑わざる所である。そして、再建せられたる文明の大建築は、依然として所謂(いわゆる)資本主義の文明であらうことも、また同じく疑わざる所である。それは歴史の示すゴールであるからである。……決して狼狽(ろうばい)してはならぬ。決して失神してはならぬ。自信を以て毅然として邁進せねばならぬ」(竹越與三郎『旋風裡の日本』)。
中国の台頭にも西欧の動揺にもたじろがず
竹越は、共産主義思潮が浸透しファシズム気運が隆盛する時代情勢の中で、「自由」に裏付けられ、「デモクラシー」に結び付いた資本主義社会を敢然と擁護した。竹越は、自ら著した日本通史『二千五百年史』書中、江戸後期の情勢を評してこう記した。
「この時にあたりて封建制度はその功益を充分に示したり。……群雄の割拠は王朝の衰弱を来たすといえども、封建の勢いここに成り、人民、土地を私有としてこれを保護するの風を生じ、かくのごときも二百年になんなんとして、国家安康、人民自立の基ここに立ちぬ」
こうした竹越の歴史認識こそは、「人民の自立」を抑圧した共産主義やファシズムに対する彼の嫌悪を裏付けるものであった。竹越は、明治以降の日本の資本主義発展が江戸期以前の封建制を揺籃(ようらん)にしたものに他ならず、彼が接した共産主義思潮やファシズム気運が、日本史の道程と人間の摂理に照らし合わせて相容れないものであると評価したのである。
21世紀に入って20年がたとうとする現下の情勢を前にしても、この竹越の姿勢に倣うことの意義は大きいのではなかろうか。「決して狼狽してはならぬ。決して失神してはならぬ。自信を以て毅然として邁進せねばならぬ」とは、中国の隆盛と盟邦たる「西欧」文明諸国の動揺に直面する当代日本の人々に対し、泉下の竹越が発した叱咤の言葉として、今や響き渡るのではなかろうか。
(文中、敬称略)
国際政治学者。東洋学園大学教授。1965年生まれ。北海道大学法学部卒、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。衆議院議員政策担当秘書などを経て現職。専門は国際政治学、安全保障。著書に『「常識」としての保守主義』(新潮新書)『漢書に学ぶ「正しい戦争」』(朝日新書)『「弱者救済」の幻影―福祉に構造改革を』(春秋社)など多数。