中国はアジアの強国として、アメリカの地位を脅かしつつある。だが、日本人は中国に対して冷ややかだ。なぜなのか。国際政治学者の櫻田淳氏は、日本と中国とは同じ「東洋」に属しつつも「文明」の観点からは互いに異質であり、「統治」の原理も異なると指摘する。アジアにおける日本の針路を、「序」「破」「急」の3回シリーズで紐解く――。(第2回)

梅棹忠夫が指摘した日中の文明史的異質性

本稿「序」編で述べたように、アジア・太平洋地域における「中国の隆盛と米国の退潮」という客観情勢を前にしても、日本が採るべき対外政策路線は、対米提携の一択である。

習近平(中国国家主席)は、2013年6月の訪米の折にバラク・H・オバマ(当時、米国大統領)と会談した際、「太平洋には中国と米国を受け入れる十分な空間がある」と発言し、東西太平洋を米中両国で二分する構想を示唆したとされる。過般、ドナルド・J・トランプ(米国大統領)訪中の折、この発言を習近平が繰り返した際、河野太郎(外務大臣)が「太平洋と接しているのは日本だ。米中で太平洋を云々ということにはならない」と反発したのは、実に率直な反応であったと評すべきであろう。日本人の大勢は、習近平構想が想定するような「中国中心の地域秩序」を受け入れられないのである。それはなぜなのか。

それについての一つの説明は、日本と中国は、「文明」の観点からは互いに異質な圏域に属するというものである。

例えば、梅棹忠夫(生態学者)は、『文明の生態史観』書中、ユーラシア大陸全体を第一地域と第二地域に分けた上で、大陸の両端にある日本と西欧諸国を第一地域、大陸中央にある乾燥地帯に接する中国、インド、ロシア、トルコの旧四大帝国の版図を第二地域として、それぞれ位置付けた、梅棹によれば、日本と西欧諸国が位置付けられる第一地域は、中世の封建制と近代以降の資本主義発展・産業発展を経て現在に至ったのに対して、中国やロシアに代表される第二地域は、専制と植民地化の状態から現在に至った。

梅棹の議論で興味深いのは、第一地域の特色としての封建制の意義が強調されていることにある。梅棹が封建制下の様相として挙げたのは、庶民宗教の出現や宗教改革、市民やブルジョワジーの出現、ギルドや形成や自由都市国家群の発展、農民戦争の発生、そして、海外貿易の展開である。これに加えて、封建制の主要な様相として挙げられるのは、君主と諸侯との「分権的な」権力関係である。