日米同盟は単なる「大国への追随」だったか?
ドナルド・J・トランプ(米国大統領)のアジア初歴訪の過程であぶり出されたのは、日本と韓国という二つの同盟国が示した対米姿勢における「落差」であった。来訪したトランプを前にして、「誠実にして信頼できる盟邦」としての日本を徹底して誇示しようとした安倍晋三(内閣総理大臣)の姿勢とは対照的に、文在寅(韓国大統領)は、対米関係を対中関係とはかりに掛ける姿勢を示した。およそ同盟が「互いが必要とされるときに互いの必要に応える努力」によって支えられるという厳然たる事実を踏まえれば、日本が米国にとって必要な「相棒」であると明確に印象付けたのは、安倍の対応における一つの成果である。
こうした日本の対米姿勢をどう理解すべきだろうか。参考になるのは、「冷戦」の終結直後となる1993年秋に発表されたサミュエル・P・ハンティントンの論稿「文明の衝突か?」である。ハンティントンは3年後、この論稿を元にして『文明の衝突と世界秩序の再編』(編集部注:“The Clash of Civilizations And the Remaking of World Order” 邦訳:『文明の衝突』集英社)を著し、そのなかで日本の同盟に対する感覚を「基本的にはバンドワゴニング(編集部注:大国への追随政策)であってバランシング(編集部注:隣接する国との勢力均衡政策)ではなく、最強国との提携」だと断じた。その上で、ハンティントンは次のような記述を残した。
現在の時点から振り返る限りは、「東アジアでの影響力における中国の隆盛と米国の退潮」を予見したハンティントンの展望は、正しかったと評すべきであろう。ただし、そうした「中国の隆盛と米国の退潮」という客観情勢を前にして、日本が「再アジア化」を果たし、「対中バランス(均衡)」ではなく「対中バンドワゴン(追随)」の選択に走る蓋然(がいぜん)性を指摘したハンティントンの展望は、明らかに誤っていたと評せざるを得ない。