老いても学んで「死して朽ちず」

自己投資は、人脈づくりにかぎりません。当然、将来を見据えた勉強は必要です。私は土日のうちどちらか1日は必ず勉強の時間に充てました。家のもっとも日当たりのいい部屋が私の書斎です。床が抜けるくらいの蔵書があり、休日はそこにとじこもって本を読むのです。嫁いだ娘がこう言ってました。

「普通、お父さんは家で本を読むものだと思っていたけど、うちの亭主はほとんど本を読まない。本当はお父さんのほうが普通じゃなかったんだ」

家族には迷惑をかけました。若干マナーに欠けていたかもしれません。しかし大切なのはマナーよりも自己研鑽。こうした勉強がいまに活きているわけです。

勉強に関しては、注意してもらいたいことが一つあります。それは、勉強している姿をまわりに見せないこと。この世の中には嫉妬が渦巻いています。みんなと違うことをやっていると、「なんだあいつは」とすぐに足を引っ張られます。いじめは人間の本能。自分で自分を守るしかない。私が会社の飲み会に3度に1度はつき合っていたのも、馬鹿を演じてやっかみをなくすため。それくらいのしたたかさは必要です。

さて、先ほど紹介した佐藤一斎の言葉には続きがあります。

「老いて学べば、則ち死して朽ちず」

老人になっても学びを続ければ、後世に何か残す人になるという意味です。

私は今年で齢87ですが、いまだ学びをやめるつもりはありません。現在は恋愛小説を執筆中です。いくつになっても新しいことに挑戦するのはわくわくするものです。どのような作品ができあがるのか、いまから楽しみです。

加藤廣さんに学ぶ「50代の心がけ」3カ条

1. 同僚ではなく社外の人間と飲みにいく
安い店では人脈は広がらない。無理してでも高い店へ。

2. 土日のうちどちらかは学びの時間に
家族の理解がなくても将来を見据えた勉強を続けていく。

3. 勉強している姿を他人に見せない
嫉妬されないように馬鹿を演じてやっかみを排除。

(構成=村上 敬 撮影=的野弘路)
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