生き甲斐のため、生活のため……一生涯、仕事を続けるにはどうしたらいいか。定年後、納得のいく働き方を手にした5人の生き様から、現役時代に準備すべきことが見えてきた。

※年齢は2015年10月10日時点

「とにかく笑顔」で価値観が覆った

外資系・太陽光発電所建設企業でディレクターを務める有賀守昭氏は、今65歳。大手ゼネコンを早期退職したのが2005年6月、55歳のときだ。常にヘッドハンティングされる形でいくつか職場を変わり、現在在籍する会社で6社目になる。

プロジェクト・デベロップメント ディレクター 有賀守昭氏(65歳)

「私の職業人生のなかで、定年とか再就職を考えたことは一度もありません。ずっと面白いことにチャレンジし続けたい。その想いは40代の頃から変わっていません」

慶應義塾大学工学部出身の有賀氏は技術者としてキャリアをスタート。医薬品、食品、半導体工場の設備設計から施工までを一貫して手がけてきた。とりわけ際立つキャリアが、社長賞を受賞した有名アミューズメントパークでのアトラクションの開発だ。

「プロジェクト開発リーダーとして日本とアメリカ両国数十人の技術者をまとめての仕事でした。アメリカ側との折衝のため東京とロサンゼルスを何度も往復。5年間かけてブラッシュアップを重ね、何とか現在の形になりました。総工費は約400億円近くでした」

そんな有賀氏に転機が訪れる。法人営業への異動だった。

「上司から笑顔の大切さを徹底して叩きこまれました。それまでのエンジニア時代には、技術的に無理な要求は無理と、毅然と断るタイプだったのです」

営業の現場では「とにかくにこやかにイエスで始めろ。最初からノーとは言うな」が鉄則だった。有賀氏は言う。

「およそ5年間の営業部時代を経て、自分の世界が広がった気がしました。取引先も薬屋さんだったり電子楽器屋さんだったりバラバラ。そのなかで僕が得た最大の教訓は、どんな仕事、相手でも『誠意を持ってやる』ということ。たとえトラブルが起こっても、相手が『仕方ないか』と思ってくれるまで、誠心誠意向き合うことでした」

現在、有賀氏はピーク時には早朝から出かけて帰りが夜遅くなることも珍しくないという。生涯現役で働くためには何が求められていると思うか?

「業種によって期待される働き方は異なります。資格も、若い頃に宅地建物取引主任者、高圧電気工事士、2級建築士、英検2級などを取得しましたが、実際に使えたのは運転免許くらい。でもそれだって今の時代、カーナビを使いこなしたり、目的地に着けばスマホで情報を取ってというほうが大切でしょう。結局、ITを使った機動力、それが一番重要なのかなと思うんです」

▼有賀氏の経歴
1972年:慶應義塾大学工学部卒業大手ゼネコンに入社
2005年:同社を退職NY上場投資銀行に入社
2006年:同社を退職以降、転職2回と起業立ち上げにかかわる
2014年:カナディアン・ソーラー・プロジェクト(当時はカナディアン・ソーラー・ジャパンプロジェクトビジネス本部)に入社