エンジニア一筋から奉仕活動の道へ
埼玉県で社会福祉士事務所を営む永田充氏は還暦の誕生日、「これからは福祉の道を目指す」と家族に告げる。東北大学を卒業して勤めた日産ディーゼル工業ではエンジニア一筋。まさに180度違う異分野への転身となる。
でも、なぜ福祉なのか?
「実は若いとき、中卒の若年社員を教育・育成するために社内にボーイスカウト活動が組織化され、私がリーダーを務めていたのです。正確にはシニアスカウトですね。研修として課外授業のキャンプをはじめ、障がい者施設や老人ホームなどの慰問をしていました。社会的な奉仕活動をするのは初めてだったのですが、慰問を続けていくうちに、ふと自分は50歳を過ぎたらどんな人生を歩めばいいのか自問するようになったのです。奉仕の精神に目覚めるきっかけとなりました」
永田氏の決断は早かった。介護を必要とする人のサポートをしよう、そのためにケアマネージャーになろう、と。
だが現実は厳しい。ケアマネージャーの受験資格を得るためには社会福祉士の資格を取得し、所定の施設で5年間の経験を積まなければならない。永田氏は東京福祉大学の通信教育を受講、指定科目を履修する。理系の永田氏にとって、心理学や社会保障原論、介護概論など19もある試験科目のほとんどは門外漢。放送大学の図書館に通って、コツコツ勉強するしか合格は望めなかった。こうして勉強をはじめてから3年後、資格取得を果たす。
「年齢的にも後はないですから必死でした。合格したときに年齢別に合格者数が発表されたのですが、約3500人のうち60歳以上はわずか12人。胸をなでおろすと同時に、何としてもこの資格を無駄にしたくないと思い、これまでの人脈を駆使して就職活動に励んだところ、在宅介護支援センターの相談員の職員に採用が決まりました」
社会福祉士としての実務を重ね、5年後にはケアマネージャーに合格。その後、特別養護老人ホームに赴任し、さらに実務を学ぶ。こうして06年に自宅に事務所を開いた。
だが、ここでも転機が訪れる。日本の福祉の現場には課題が多い。本当に救済が必要な身寄りのない認知症の高齢者や障がい者にまで手が届かない現実を知る。永田氏は、職業生活の最後に何をするべきか、終着点を見つけ出す。それこそが、家庭裁判所から選任される「成年後見人」にほかならない。
「この仕事は、社会的弱者といえる彼らの生命と財産を守る代理人です。徹底的に寄り添う責任があるので、年中無休で24時間対応できるようにしなければならない。『危篤です』と夜中の3時に電話がかかってくることも。辛いことも多い。今まで看とったのは10人。お墓を探し、納骨まで携わることもあります。次なる目標は、後輩の育成と地域の高齢者問題の解決です」
努力を惜しまず自らを変革し、眼前の課題に挑戦する――。なぜ、そんなアグレッシブな行動をとれるのか?
「こうして70代にやりたい仕事ができるのも、60代のとき、今を疎かにしなかったから。同じことが50代、40代でもいえると思います」
▼永田氏の経歴
1957年:東北大学工学部卒業日産ディーゼル工業入社
1998年:同社を定年退職社会福祉士を取得
2004年:介護支援専門員(ケアマネージャー)を取得
2006年:成年後見人になる事務所を開設