今年7月、労働者の立場がいかに不安定かを思い知らされる出来事が起こった。日本労働組合総連合会(連合)はこれまでの態度を覆し、“残業代ゼロ法案”とも言われる「高度プロフェッショナル制度」を含む労働基準法改正案に、条件付きながら賛成すると表明。民進党や、多くの労働者が大反発し、連合を相手にする異例のデモまで巻き起こった。すったもんだの末、連合は再転向。政府は連合の要請を受けて、改正案を修正することになった。
人々を搾取から救うため、フィデル・カストロとともにキューバ革命を成し遂げたチェ・ゲバラ。没後50年となる現在においても、世界中の人々に広く知られる革命家は、現在の日本を見て、何を思うだろうか。チェ・ゲバラ研究所に勤める息子、カミーロ・ゲバラ氏に話を聞いた。

目の前だけでなく世界に目を向けよ

キューバ革命を成し遂げたチェは、革命政権の幹部として重責を担い、勉強や仕事に明け暮れる多忙な日々を過ごしていました。彼は67年、ボリビアでの革命闘争中に処刑されますが、ともに過ごした時間は短く、私にはチェ本人との記憶がほとんどありません。

カミーロ・ゲバラ氏

ただ、チェはキューバを旅立つ前に、フィデルや私たち家族に宛てた手紙を残していきました。その手紙は文学的にも評価され、キューバの教科書に掲載されています。教室で自分宛ての手紙を読むというのは、ちょっと居心地が悪かったかな(笑)。

チェが目指していたのは、不公平で、不均衡な世界を、調和があり、すべての人間が公平に扱われ、満ち足りた状態で仲良く暮らせる世界に変えることでした。その思想は時代が変わっても、古くなることはありません。

チェはなぜ圧倒的な情熱を持って革命に取り組むことができたのか。彼は若い頃からいろいろなことに関心を抱き、ラテンアメリカ諸国を回りました。ボリビアでは革命を目の当たりにし、自主独立の機運が高まるグアテマラでは米国が介入するのを目撃しました。

幅広い知識、異文化に対する理解、そして人道的な問題に対する感受性の高さ。それらすべてを持って生まれたのではなく、旅と、そこで見たものを通じて、チェは身につけていった。生まれたときから革命家だったのではなく、段階を追って、徐々に変わっていったのでしょう。

チェは「世界に問題があるならば、それに対して反応し、行動することが大事だ」と言いました。しかし、日本社会の特性もあるでしょうが、会社の細かいルールに従うことばかりに注意が向いてしまうと、視野を広く持つことはできません。世界に目を向ければ、貧困に苦しみ、悲惨な状態で生きている人がたくさんいる。栄養不良や不治の病で亡くなる人も何十万人といます。日本のオフィスで働いている皆さんも、目の前の仕事だけでなく、そういう世界的な問題にも関心を向け、少しでも不公平で不公正な現状を変える方法を考え、行動してほしい。