多摩ニュータウンの限界集落化はメディアで紹介されることが多いが、地方の過疎地とは交通事情が根本的に異なる。実際、路線バス網に加え、最寄り駅と団地内を循環するコミュニティバスが通り、私鉄2線が乗り入れ、多摩モノレールもある。

なのにクローズアップされた理由は、多摩ニュータウンの最寄り駅から新宿駅まで最速30分程度で移動できるサラリーマンの夢のマイホームタウンで起きた「現象」の振れ幅の大きさだった。

本来の計画では、若くて健常な住人の所得が増すことで住み替えによって他のエリアに移る一方、手ごろな住宅価格、あるいは家賃、ほどほど良好なロケーションをもとめて新たな住人が流入してくると踏んでいた。

しかし、その新陳代謝は進まなかった。学識経験者、東京都、多摩市、UR都市機構からなる「多摩ニュータウン再生検討会議」のレポートは、限界集落化は住民の入れ替わりがうまくいかなかった理由として、高度経済成長が終焉し所得が思うように上がらなかったことや、バブル発生で住宅価格(家賃)が高騰し、住み替えようにもここ以上の条件の住宅が見つからなかったことを指摘している。

親世代の初期入居者はそのまま住み続け、子ども世代は通勤通学がより利便性の高いエリアに流出。眺めがウリだった高台が、高齢化とともに致命的な欠点と化しているのだ。横浜や横須賀のロケーションとよく似ている。