安倍政権の成長スローガンの1つ、「地方創生」。全国の地方公共団体が差別化に苦戦する中、鹿児島県で奮闘する30歳の若き総務官僚がいる。
鹿児島県長島町の副町長、井上貴至さんは大阪出身。大阪星光学院から東京大学法学部へ進学、総務省で政治資金改革に取り組み、地方創生人材支援制度を発案、内閣官房では拉致問題を担当したという経歴の人物だ。その井上さんがなぜ、鹿児島県で副町長をしているのか? 井上貴至氏と田原総一朗氏の対談、完全版を掲載します。
大阪から東京へ、どんどん企業が流出していった
【田原】井上さんは大阪生まれで、中高生のころから地方の問題に関心を持っていたそうですね。なぜですか。
【井上】物心ついたときに、大阪の企業が東京に本社機能をどんどん移していました。日本生命とか、パナソニックとか。それを見て、このままでいいのか、何かやれることがあるのではないかと考えるようになりました。といっても、何をどうしていいのかよく分かりません。そこで、まずはいろんな人に出会いたいと思って東大に入りました。
【田原】東大ではどんなことをやったのですか。
【井上】最初のゼミの授業で、先生から「君ら東大生は何も知らない。とにかく現場に行きなさい」と言われました。先生はもともと過労死専門の弁護士でいらしたので、過労死のご遺族の方や企業側の弁護士の方にお話を聞きに行ったりしました。それから路上生活の方の炊き出しを手伝ったり、沖縄の防空壕や米軍基地にも行きました。そうした経験を通して、いろんな現場に行くことに興味を持ち始めました。
【田原】そこから総務省にお入りになった。なぜ総務省に?
【井上】中高生のころは公務員にだけはなりたくないと考えていました。地方がさびれていくのは、公務員がうまく機能していないせいだと思っていましたから。でも、大学でいろんな地方に関わっている先生や先輩と出会って、人に惹かれました。それから路上生活の人と接するうちに地方行政の可能性や責任を感じたことも大きかったです。