がんを告知された患者や家族、友人などが、予約不要で気軽に立ち寄れる施設が、2016年10月、東京・豊洲にオープンしました。モデルは英国発祥の「マギーズセンター」。乳がんで亡くなった女性造園家マギー・K・ジェンクス氏にちなんだ施設で、「マギーズ東京」はその日本版第1号。センター長の秋山正子さんは日本における訪問看護師の草分けで、「市ヶ谷のマザー・テレサ」と呼ばれる人物です。設立の経緯を秋山さんに聞きました――。

「突拍子もない非現実的な夢」だった

マギーズ東京センター長の秋山正子さん。

私が39歳の時、2歳上の姉をがんで亡くしました。看護師でありながら、姉の力になりきれなかったことが心残りでした。そのとき、もっと患者さんが気楽に悩みを相談できる場所が必要だと感じたのです。

一般的な病院の外来では、看護師1人につき30人の患者さんに対応しています。はじめてがんになって告知を受けるとき、もしくはがんの再発がわかったとき、患者さんは精神的に大きなダメージを受けます。そのとき多くの看護師は、患者さんのそばにいて、ゆっくりとお話を聞き、サポートをしてあげたいと思うのですが、残念ながら業務が忙しく、現実的には不可能なのが現状です。また、これだけの情報社会なのにもかかわらず、がんを告知された患者さんが必要とする治療や生活などに関する情報を見つけ出すことも容易ではありません。そういう患者さんのためにじっくりと耳を傾けられる場を作りたいとずっと考えていました。

そんな折、イギリスにある「マギーズキャンサーケアリングセンター」のことを知りました。マギーズセンターは、がんに直面して悩む本人、その家族や友人らのための空間と、専門家の情報や知恵を提供する場で、1996年にイギリスでできました。イギリスでは、地域の一般病院の中にがん専門センターが敷地内に設けられ、その一角にマギーズセンターもあります。緑に囲まれた土地に建つ建築物は、私たちが見ても心落ち着く内装で、患者さんやご家族など、がんで悩む人達がゆったりと過ごせる空間になっています。そして、そこで誰にも話せなかった悩みや思いを話してもらうのです。「これこそ、私がやりたかったこととピッタリと合う!」と思いました。しかし、東京でこの施設を作るには、なかなか簡単にはいきません。敷地、資金、職員……。「突拍子もない非現実的な夢」と言われることもありましたが、私は諦めきれませんでした。

2014年4月、事態は急展開

2014年4月、事態は急展開しました。乳がんを克服したという若い女性と出会ったことがきっかけで、この「夢」がどんどん実現の道を動いていったのです。女性の名前は鈴木美穂さん。在京テレビ局の取材記者としてバリバリと働いていた20代半ばの時、乳がんになりました。その後、抗がん剤や放射線治療、ホルモン治療などを受けながら、強靭な精神力で病気を克服され、社会復帰を果たしたのです。現在は、若くしてがんになった人たちへのサポートにも尽力されています。そんな彼女も、一時はご家族を巻き込む大変な経験をしたことで、日本にもマギーズセンターが必要だと感じていたそうです。

鈴木さんは患者さんの立場から、私は家族や医療者の立場から、「一緒にマギーズセンターを作ろう」ということになりました。それからは、鈴木さんが資金集めやPRを積極的に推し進め、私は看護師仲間に声をかけながら運営部隊を担うことになったのです。