小泉家を支えた姉の存在の大きさ

小泉家の人々が、公の場に一堂に会する機会はあまりない。加えて、孝太郎、進次郎両氏が、プライベート以外の場で同席する機会も同様だ。小泉家は結束力の強さ、絆の固さで知られる。それだけに、小泉元首相も弔辞で述べたように、一家を陰で支え続ける中心的な役割を果たした故人をしのぶお別れの会という場で「そろい踏み」となったことは、小泉家の悲しみの深さを、参列者に感じさせる機会になった。

小泉家は、進次郎氏で4代目となる政治家の家系だ。初代の又次郎氏(純一郎氏の祖父)は、1908年の衆院選で初当選し、政界入りした。その後、防衛庁長官を務めた純也氏、5年5カ月にわたる長期政権を築いた純一郎氏と続き、今や「将来の首相候補」といわれる進次郎氏まで、実に100年以上にわたり、政治家という「家業」が続いている。

なかでも、日本政治史に残る一時代を築いたのが純一郎氏。父純也氏の急死で、留学先の英国から急きょ帰国し、69年の衆院選に出馬するも、落選した。当時、世襲の新人候補(ほかに小沢一郎氏、佐藤観樹氏)で落選したのは、純一郎氏だけだった。72年の衆院選でリベンジを果たし、自民党、政界でじわじわと頭角を現す存在になっていった。

国会議員時代は、地元と永田町を往復する生活。自宅に帰っても、すぐ東京に戻らなくてはならず、ほとんど家にはいない状態だった。妻と離婚した後、まだ幼かった孝太郎氏や進次郎氏は、寂しい思いをすることも多かったようだ。そのとき、「母親」となって2人を育てたのが道子さんであり、地元の人々だった。

純一郎氏は国会議員時代、「変人」と言われ、それが代名詞でもあったが、本人は「私は常識を信じる、常識人だ」と語る。「変人」「非情」など、刺激的なキャッチフレーズから、親子関係もドライだと思われがちだが、子どもたちが小学校のころは、忙しい合間を縫ってキャッチボールに興じるなど、短くても濃密なコミュニケーションを取るようにしていたという。

進次郎氏は、父との関係に関して、福島県会津若松市で中学生を前に講演をした際、こんなエピソードを披露したことがある。

「中学3年のときの三者面談で、先生は『小泉くんには、もう少しリーダーシップをとってみんなを引っ張ってほしい』と言われた。すると父は、『進次郎はこのままでいいんです。政治家の子どもは、何をしても何か言われる。私も親が政治家だったから、あまり目立たないようにしようという進次郎の気持ちが、よくわかる』と。自分もそう思っていた。父は、自分の思いを代弁してくれた。忙しくて会えなくても、ちゃんと自分のことを見てくれていた。そのときの強烈な感謝の思いは、今も忘れません」

今は、2人の息子たちが逆に、政界を引退した父親よりも忙しくなった。それでも、時間を見つけて家族で食事をすることも多いそうだ。小泉道子さんのお別れの会では、父が時に絶句しながら弔辞を読み上げる姿に、2人の息子たちも時に涙をぬぐいながら静かに聞き入った。メディアで、一挙手一投足が注目されることも多い小泉家。普段、なかなか垣間見ることがない「普通の家族」としての姿が、そこにはあった。