バリアフリー対応のコンサルティングを行う「ミライロ」。自らも車椅子で営業に回る垣内社長のモットー「障害を価値に変える」の意味とは?

日本の障害者数は約800万人。高齢者も含めると、4000万人にものぼる人々が「バリアフリー」を必要としている。世界有数のバリアフリー推進国である日本だが、健常者が想像で作った結果として使いにくくなってしまうなど、すべてが障害者目線でできているわけではないという。

バリアフリー対応をする施設や店舗などに、コンサルティングを行い、またその情報を発信する事業を行っている企業が「ミライロ」である。ミライロ社長の垣内俊哉氏は、骨形成不全症という病気を抱えており、幼いころから車椅子生活を送ってきた。寝たきりの状態で大学受験をし、立命館大学在学中に起業。現在はミライロの経営を通して、障害を価値に変えるという理念「バリアバリュー」を世界中に広げていくことを目指している。

自らの障害をビジネスに変えて突き進む垣内社長。彼はなぜこんなに気力に満ちているのだろうか? 田原総一朗氏と垣内俊哉氏の対談、完全版を掲載します。

障害に絶望し、3回の自殺未遂

【田原】垣内さんは生まれて間もなく、骨の病気を抱えていることがわかったそうですね。どのような病気ですか。

【垣内】骨形成不全症という病気です。人の骨を丈夫にするI型コラーゲンの異常などで、骨が非常にもろいのです。ようやく歩けるようになったのは3歳のころですが、運動会やマラソン大会の前には決まって骨折していました。今日まで骨折の回数は20回。人生の5分の1は病室で過ごしてきたんじゃないでしょうか。

【田原】いま車椅子にお乗りですが、それはいつから?

【垣内】車椅子に乗り始めたのは幼稚園からですね。中学生のころには、ほとんど車椅子で生活していました。

【田原】障害があることについて、ご自分ではどのように受け止めていたんですか。

【垣内】中学生のころ、友達と掃除当番をさぼってホウキで野球をしていたら、友達はみんな叱られたのに、私だけ先生から「俊哉君は障害があるから掃除ができてなくても仕方がないわね」と言われたことがありました。先生に悪気はなかったでしょう。ただ、このとき初めて自分は弱者であることを認識させられました。自分はみんなと同じつもりでいたけど、障害者と健常者の間には壁があるんだなと。

【田原】壁を感じて、どうしたのですか。

【垣内】とにかくその壁を壊したくて、自分の障害を克服することに躍起になりました。高校は地元の岐阜の公立校に入りましたが、治療のために中退して大阪へ。残念ながら骨の状況は好転せず、自分の足で歩くことはかないませんでした。そのことがわかったとき、私は三度にわたって自分の命を絶とうとしました。最初は病棟の屋上から飛び降りようとしたのですが、立つこともできずに死ねなかった。いま振り返ると、本当に浅はかでしたね。