ミスや負けを楽しむ

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
人材・組織コンサルタント/慶應義塾大学特任助教
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生が自治体改革を担う「鯖江市役所JK課」、週休4日で月収15万円の「ゆるい就職」など、新しい働き方や組織づくりを模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施し、さまざまな企業の人材・組織開発コンサルティングなども行う。
若新ワールド
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【若新】ベビーバスケは、実際にやってみると、どんなところが面白いのでしょうか。

【澤田】すぐに赤ちゃんが泣いてしまうので、みんながあたふたすることです。若い人も、年配のエライ人も関係ありません。それって、スーツを着た人がバナナの皮で転ぶのと近いような楽しさがあって、だから面白いのだと思います。

それに通常のスポーツでは、ミスをすると怒られたり、自己嫌悪に陥ったり、場合によっては怪我や事故につながったりするので、ミスをする瞬間が嫌だと言う人がたくさんいます。その点、ベビーバスケでは逆の発想で、「ミス=笑い」の構造なんです。たとえば、通常ボールを持って3歩以上歩くと「トラベリング」という反則になりますが、ベビーバスケでは「子煩悩」という反則になります。審判が笛を吹いて「子煩悩!」と言うと、会場中が笑いに包まれます。だからミスが怖くなくなるんです。

【若新】それはいいですね。スポーツって、オリンピック種目のような競技はもちろん、僕らがやる日常的なものでさえ、ミスすることや負けることになんかすごい罪悪感があるんですよね。スポーツが成熟するにつれ、「より速く」「より高く」「より強く」というのが求められ、勝負に対して結果重視すぎてプロセスを楽しめない感じになってる気がします。なんというか、覚悟みたいなものが求められる。ここで立ち止まって、「勝っても負けても面白かった」というようなものをスポーツという文化に取り戻すことができたらいいですね。

以前、とあるワークショップで「喜怒哀楽」について考えたときに、「怒」と「哀」は違いが分かりやすいけど、「喜」と「楽」って何だろうという話になりました。僕が思うに、「喜び」とは結果に対して起きるもので、「楽しさ」はプロセスのなかで生まれるものなんじゃないかと思って。そう考えると、学校でも会社でも勝つことの「喜び」を得るために必死になりすぎて、その過程の「楽しさ」みたいなものを僕たちはちょっと忘れてきたんじゃないかと。

【澤田】おっしゃるとおりです。勝てば当然嬉しいけれど、負けても楽しい。この両輪を満たすことを、「ゆるスポーツ」では目指しています。

ただし、「勝ったら嬉しい」がなくなってしまうと、スポーツではなくなってしまいます。「ゆるい」という言葉の解釈は幅が広く、誤解を受けやすいのですが、「ゆるい」は決して「ロークオリティ」や「チープ」ではないと思っています。ベビーバスケにしてもブラックホール卓球にしても、僕らは開発段階から各競技の元日本代表選手などガチなアスリートを巻き込んでいます。「ゆるスポーツ」をスポーツとして成立させるため、ルールも含めてかなり精密にチューニングしているんです。

【若新】なるほど。戦って勝つ、そしたら嬉しいというシンプルな体験はちゃんと残しつつも、それが排他的なものにならないように、ゆるさの中から新しい余地をつくりだしているということですね。

(前田はるみ=構成)
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