連載「為末大の相談室」の総まとめとして、ベストセラー『ない仕事の作り方』(文藝春秋刊)の著者、みうらじゅんさんとの対談をお送りしています。「陽気な引きこもり」だったみうらじゅん氏と「体育会系読書部」を自任する為末大氏。小学校の頃出会っていたらまったく接点がなかったであろうお二人は意外にも意気投合。プロとは何か、長続きする秘訣とは何か、肩書とは何か、超人と変態の違いは……といった「根源的」な問題に、ゆるく、深く迫ります。
【為末】多くのスポーツ選手はインタビューとかで聞かれると「スポーツに出合えてよかった」「この競技が好きです」みたいな話をするんですけど、ほとんとのトップクラスの選手って競技開始年齢が3、4歳とかなんです。浅田真央ちゃん、内村航平君もそのぐらいだし、吉田沙保里さんもそうですね。僕自身はちょっと遅くて8歳からですけど。つまり、もともとそのスポーツが好きだったかどうかなんてわからないんです。
【みうら】それは、好きじゃないですよね。親に無理矢理やらされて始めた、みたいな。
【為末】でも10年、20年とやっていくと、「これしかない」感が出てくる。トップの場合はやはり実際に才能があることが多いですし、「これが本当に好きだったかどうかはよくわからないけど、まあこれしかないよね」みたいな微妙な感情が混ざりあったような感覚になるんです。
【みうら】「つぶしが効かない」っていうことですよね。
【為末】だから「この競技が好きだからやっている」というのは、案外怪しいものだなと思うんです。
【みうら】(笑)それは僕もまったく一緒です。本当に好きだったかどうかなんてもはやどうでもいい。ずっとそこに縛られて「好きだ」と思い込んできただけです。思い込むために努力してきたんですよ。でも、だいたいのことは熱く語れば語るほど引かれるのに、スポーツだけは唯一「好きなんです」って言っても許されるじゃないですか。
【為末】そうですね。許されている。
【みうら】ちょっとズルいな、と思うんですよね(笑)そこには正義的なものもあるじゃないですか。
【為末】「スポーツは全肯定」みたいなね。
【みうら】僕みたいに「くだらないものを買う」とかになると、もう「全否定」だから。でもそれを極めて突き詰めていくと、「何が好きだったかどうかがわからなくなることが好き」という、「空(くう)」の状態に至るんです。そうなるといちばん調子いいですね。やっていることの真髄がよくわかるような気がするんですよ。「自分の意見」があるうちはウザいですよね。
【為末】「好き」って言っている時点で、ちょっと悦に入っている感じがありますよね。
【みうら】それだと「趣味」なんです。もちろん最初のきっかけは「好き」かもしれないけど、好きなだけでは続けられない。「好き」と「嫌い」は表裏一体で、好きだったものを急に捨てたくなるときってあるじゃないですか。そこを好きだと思い込み続けるというのは一種の修行なんですよ。
【為末】趣味から「ない仕事」への道筋ってあるんですか。
【みうら】自分の気になっているものと何かが結びついて、違う結果が出ることが自分の「ない仕事」になってるんです。「はじめから概念があるもの」「既にジャンルがあるもの」には興味がないから。陸上でいったら、「ハードルを5メートル高くして新しい競技をつくる」とか、何かと合体して化学変化が起こって、「そんな陸上競技ねえよ!」みたいなところまでもっていくっていうのが僕のやってきたことなんじゃないかなと思います。