お金持ちではなく「他人よりお金持ちでいたいだけ」
この幸福度というのは、厳密には幸福感と生活満足度とその他いくつかの要素に分けて考えなければいけないと思いますが、気になるのは(3)の『一国の時系列で見ていって、国全体が豊かになっていっても幸福度は変わらない』というパラドックスの原因は何なのかということです。
日本でのデータでいえば、内閣府の国民生活選好度調査(平成20年度)のグラフを見てみると1981年から2008年まででひとりあたりGDPは70%近く上昇していますが、生活満足度はほとんど変わりません。
国民全員が豊かになったのでは生活満足度は上がらないということです。
これについて、イースタリンは「一国のある時点での社会には一種の消費規範が存在し、その規範よりも上の消費水準の場合は幸福感を感じるが、規範よりも下の場合には、不幸せに感じる」と説明しています。
興味深いのは、その消費規範はその国が経済発展している場合には時間とともに上昇していくということ。すると全員の所得が上がっても、消費規範も同時に上がっているため、幸福度は変わらない。完全なパラドックスですが、僕流に解釈するとこうです。
「人はお金持ちになりたいのではなく、他人よりお金持ちでいたいだけだ」
イースタリンの調査以前の1949年に同じ事を唱えていたのがハーバード大学の経済学者ジェームズ・デューゼンベリーでした。
デューゼンベリーによれば、個人の消費活動はその収入に左右されるだけでなく、周囲の人間と張り合おうとすることによっても影響を受けるという消費行動(デモンストレーション効果)が見られるとのことです。
これについて経済学者のニック・ポータヴィーはこんな解説をしています。
「『貧乏であるということは、実際には相対的なものである』というデューゼンベリーの主張のほうが、このような(筆者注:どんなときにも金持ちはたいてい貧乏人よりも貯蓄率が高いのに、すべての国民が豊かになっても国全体の貯蓄率がそれに伴って上がらない)矛盾をうまく説明できる。貧乏人の貯蓄率が低いのは、もっと派手にお金を使っている人に追いつきたいという気持ちが強まるということだ。国民全体の収入がどんなに増えても、貧乏人が金持ちに追いつきたいという気持ちが持続するのなら貯蓄率が上がらないのも無理はない」(『幸福の計算式』ニック・ボータヴィー著)
これ、前掲の3のイースタリンの逆説をうまく説明していると思います。