みんなの党の分裂・解党の原因は何か

【塩田潮】2014年12月の総選挙で初めて落選を体験されましたが、敗北の原因は。

【渡辺喜美(元みんなの党代表・元金融担当相)】自民党の現職議員と戦うわけだから、選挙を優先すれば、「反安倍・反自民・反アベノミクス」を主張するほうがやりやすいけど、選挙優先のやり方は自分の美学に反しますので、言いませんでした。それが有権者の理解を得られなかったと思います。信念を曲げませんでしたが、なんら恥ずかしいことはないし、悔いることはないと思っています。

渡辺喜美氏(元みんなの党代表・元金融担当相)

【塩田】落選は『週刊新潮』の借入金問題の報道が響いたのでは。

【渡辺】必ずしもそうではないと思いますね。14年の総選挙で一番大きかったのは、みんなの党がなくなったことです。党がなくなり、党首でもなくなって、力がなくなった。しかも栃木県は知事も市町村長も自民党が差配しています。もう完璧に野党だろうというので、業界団体はこぞって自民党に行く。こちらは一議員ですから、地元の人たちの間で、あんたは自民党の議員と比べて身近なところで地元密着でやっているのかという批判が大きかったと思います。それで3万票くらい減ってあえなく落選という感じでしたね。

【塩田】振り返って、みんなの党の分裂・解党は何が最大の要因だったのですか。

【渡辺】私の理想は何をやるか、政策の実現優先でしたが、政治家は落選したくないから、次の選挙最優先の行動を取る。当然、私の路線は、「野党再編」でなく、「与党再編」になる。しかし、次の選挙優先の人たちは野党再編に傾く。その流れを抑えられなかったのが原因だったと思います。親父(渡辺美智雄・元副総理)は「何をやるかが大事だ」とずっと言っていましたが、誰と組むかを間違えると失敗するというのがみんなの党の教訓ですね。

【塩田】みんなの党を結成した後、安倍さんが再登場したのが誤算だったのでは(笑)。

【渡辺】当時、自民党で安倍晋三現首相が復権すると思っていた人はいなかった。ただ私は12年の5月か6月、安倍さんと菅義偉さん(現官房長官)に直で会っていろいろと話をしました。当時、大阪維新の会の橋下徹さんや松井一郎さん(大阪府知事。おおさか維新の会代表)から、自分たちがつくりたいと思っている新政治勢力のヘッドに安倍さんを持ってきたいから話をしてほしいと頼まれたんです。歌舞伎でいう「十八番」ができる役者がほしかったのでしょう。それで安倍さんに白羽の矢を立てた。私が直接、尋ねたら、安倍さんと菅さんは異口同音に「自民党の中で復権したい」と言った。

安倍さんは明快で強い意志を持っていました。これが復権の一番の原動力だったと思います。12年9月の自民党総裁選で、1回目の党員投票では負けましたが、国会議員の投票でひっくり返って総裁に復帰した。当時、大阪維新が大阪の全選挙区に候補を立てるとアドバルーンを上げていたので、「これはたまらんな」という自民党の人たちが、大阪維新との関係が非常にいいので総裁になったら上手にやってくれるのでは、という思いで安倍さんに票を入れた可能性が高い。そういう背景がよくわかっているから、今でも安倍さんと菅さんが橋下さんや松井さんとコンタクトを取っているんだと思いますよ。