政治家の使命はいかに日本の繁栄を長続きさせるか

【塩田】参院選で政界復帰を目指しているわけですが、国会に戻ることができれば、今後の政治家としての使命、役割をどう考えていますか。

【渡辺】日本が長期停滞国家になってしまった最大の原因は成長しないデフレ経済ですから、そこから脱却して、どこの国でもやっているような4~5%成長ができる国にするのが私の最大の使命です。親父の遺言でもありますが、「繁栄した国家や文明は数々あれど、繁栄し続けた国も文明も一つもない」と。政治家の使命はいかに日本の繁栄を長続きさせるかだと口を酸っぱくして親父は言っていました。

ところが、バブル崩壊後、立ち直れずにだらだらときてしまった。私の政治家人生は親父が手がけた不良債権処理がスタートでしたが、デフレ効果をもたらす不良債権処理をやれば、マクロ政策でアクセルを吹かさなければいけない。私は1年生議員の頃、「日本経済再生のバイアグラ大作戦」と称するワンセットの総合プランを唱えましたが、20年近くが経ち、残念ながらまだデフレから脱却できていないという現実がある。4%成長は安倍さんの「2020年のGDP(国内総生産)600兆円」とまったく同じです。私はおおさか維新ですが、「てこの原理」で外から安倍内閣を応援していくのが使命だと思っています。

【塩田】「与党再編」という路線を突き詰めていくと、いずれ自民党の中の違う路線の人たちを分離させ、与野党を含めた大仕掛けの政界再編が必要になると思われます。

【渡辺】自民党は昔から派閥連合政権とか、「ぬえ」みたいな体質とか、いろいろ言われてきました。かつて小沢一郎さん(元民主党代表)たちが選挙制度の変更をめぐって分裂しましたが、そういう分裂はないと思います。自民党は改革派よりも守旧派のほうがずっと多い。ただ大多数は中立派というか付和雷同組です。改革派が政権の中枢にあって、きちんと国家マネジメントをやっていれば、その人たちは従うと思います。

昔だったら、農協改革で農協中央会を廃止するなんて、ちょっと考えられなかった。それを現に断行しているわけですから。私の役回りは自民党の中に入るのではなく、外側から「てこ」を利かせていく。それが与えられた役回りかと思います。

渡辺喜美(わたなべ・よしみ)
元みんなの党代表・元内閣府特命担当相(規制改革・金融)
1952(昭和27)年3月、栃木県那須郡西那須野町(現那須塩原市)生まれ(64歳)。栃木県立大田原高校、早稲田大学政治経済学部政治学科、中央大学法学部を卒業。83年から父・渡辺美智雄(副総理、外相、蔵相などを歴任)の秘書を務める。95年に死去した父の後継者として96年の総選挙に自民党公認で栃木3区から出馬し、初当選(以後、2012年の総選挙まで小選挙区で6期連続当選)。1990年代後半の金融危機のとき、「政策新人類」の一人に数えられ、自民党内で頭角を現した。2006年に第1次安倍内閣で規制改革・公務員制度改革担当特命相、07年に金融担当特命相に就任。08年に麻生首相への批判を強め、09年に自民党を離党してみんなの党を結党し、代表に就任。14年に『週刊新潮』の報道がきっかけで8億円の借入金問題が露見し、代表を辞任。離党者続出でみんなの党は解党となる。14年総選挙に無所属で出馬したが、落選した。16年5月におおさか維新の会に入党し、参院選出馬を表明した。著書は『反資産デフレの政治経済学』など多数。落選後、ダイエットで12キロ減量に成功し、スリムに。「以前はよく怒鳴り散らすことがあったけど、落選後はなくなった」と笑いながら漏らす。
(尾崎三朗=撮影)
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