弘兼憲史の着眼点

▼人生最高の映画10本は25歳までに観てしまう

「人間の才能のベースは25歳までにできる」

柳井さんのこの発言には、私にも思い当たる節があります。以前、ラジオ番組で、映画評論家の品田雄吉さんと、「いままで観た映画のベスト10」について対談したことがありました。品田さんによると、雑誌「キネマ旬報」が著名人100人にアンケートを依頼したところ、回答者の「ベスト10」のほとんどが、18歳から25歳くらいまでに観た映画だったそうです。誰しも感受性が高くなり、いろいろと吸収しやすい時期なのだと思います。私の場合、映画だけでなく、音楽についても、この時期に聴いたものからいまだに離れられません。

振り返ってみると、私が松下電器を辞めたのも25歳のときでした。

22歳で入社したときは、せめて部長ぐらいまでは出世したいというまっとうな考えを持っていました。配属された宣伝部では、私の前に、主任、課長、部長と並んでいました。部長の席までは約20メートル。この20メートルに30年はかかるというイメージがあり、もっと早く行く方法はないかなと漠然と思っていたものです。

ところが――。

宣伝部では、デザイナーやイラストレーターとの付き合いが多く、彼らのなかには漫画家志望の人間もいました。アパートへ遊びに行くと、一生懸命に描かれた作品がある。そこで酒を飲みながら漫画について話していると、はたと自分は何をやっているんだろうと思いました。自分はこっち側の人間ではないのか、と。30歳までにデビューできなければ、違う仕事をしようと決めて、25歳で退職。それから運良く27歳で入選して、現在に至ります。

▼経営者も漫画家も、才能だけでは長続きしない

柳井さんからは対談中、いろいろと質問を受けました。そのなかに「漫画家には、ヒット作に恵まれても、後が続かずにすぐ消えてしまう人と、弘兼さんのようにずっと続いている人がいる。その違いは何ですか」という質問がありました。私の答えはこうです。

「たとえば今、私が銀座でお酒をご一緒するような巨匠たちは、どなたも癖はあるんですが、基本的には人格者で、飲んでいても楽しい。ものすごく実力があっても、人との付き合い方が悪く、編集者から嫌われている作家は、何となく消えていく気がします」

あらゆる仕事はチームワーク。漫画家も、本人の才能だけでは連載は続けられません。周囲の助けが必要です。いい漫画作りといい服作りも同じですね。柳井さんとは意外なところで共通点がありました。

弘兼憲史(ひろかね・けんし)
1947年、山口県生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年『人間交差点』で第30回小学館漫画賞、91年『課長島耕作』で第15回講談社漫画賞、2003年『黄昏流星群』で日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年紫綬褒章受章。
(田崎健太=構成 門間新弥=撮影(対談) 時事通信フォト=写真)
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