歴史の転換点だという認識が必要

【三宅義和・イーオン社長】いま日本において、かつてなかったような大きな教育改革が進みつつあります。明治以来だともいわれています。このような時期に、参議院議員時代を含め教育改革に尽力されてこられた鈴木寛先生に、貴重な時間をいただけましたことを感謝します。

これからの学校教育はどのように変わっていくのか。大学入試改革の本当のねらいをお聞きしたい。と同時に、そうしたなかで英語教育、さらには教育の現場がどのように変わっていくのかについてもお聞きしたいと思っています。

今年2月から、鈴木先生は文部科学大臣補佐官という立場でしたが、この補佐官というのはどのような仕事をするのでしょうか。

三宅義和・イーオン社長。

【鈴木寛・文部科学大臣補佐官】大臣補佐官制度というのは2014年、新たに設置されました。政治家が就く場合もありまし、私のように大学教授など民間人が任命されることもあります。文字どおり、大臣を補佐するわけです。私の名刺には英語でどう刷ってあるかというと「Chief Policy Officer」。それが一番ピタッとはまる感じです。

ですから大臣はCEOで、補佐官はCPO。大臣官房における政策のチーフということになります。もちろん、そのなかには今回の大学入試改革のように重要テーマを特命で担当し、大臣の政策形成をお手伝いしていくということもあります。

【三宅】補佐官になられた経緯ですが、鈴木先生は2001年から12年間の民主党の国会議員在任中に文部科学副大臣を2期務めていらっしゃいます。今回は党派を超えての就任ですが、どのような経緯で補佐官になられたのでしょうか。

【鈴木】下村博文大臣から、いろいろな問題を抱える文部科学政策の立案を手伝ってほしいと、直接要請を受けました。下村大臣とは、参議院議員になる前の慶應義塾大学の助教授時代から知り合いでもあり、議員在任中も超党派の議員連盟の幹事長や事務局長を務めたりしました。

なかでも、コミュニティスクール制度の導入に際しては、下村大臣とも協力し合い、共通するライフワークである奨学金制度の充実に取り組みました。やはり、どんな家庭、どんな地域に育っても、すべての子どもに学ぶチャンスを与えたい。そういう理念の部分で接点があったといえます。

【三宅】今回の大学入試改革についてですが、大学入試が変わると日本の教育全体が変わっていきます。どのような日本人を育成しようとしているのか。また、学力ということについての考え方も、学力観も従来の教育とは大きく変わっていくような気がします。

【鈴木】そこが一番重要なポイントだと思います。先ほど、明治以来という言い方をされましたが、我々はいま産業社会という時代に生きているわけですね。世界史的には、イギリスの産業革命、アメリカの独立革命は1776年です。フランス市民革命は1789年。まさに1700年代の中盤以降始まった近代化の流れのなかにいます。

日本では、1853年にペリーが浦賀に来航して、そこから15年かけて明治維新が成し遂げられた。ですから英・米・仏は1700年代の後半から始まった近代化が、途中ドイツ・イタリア・ロシアを経て日本に押し寄せ、日本は“富国強兵”をテーマに欧米列強に追いつこうとしたわけです。そこで目指すのは、大量生産、大量消費という文明。要するに生産力が非常に重要になってきます。しかも、これをいかに効率的に行うかという能力が国の能力であり、都市の能力であり、あるいは会社、個人の能力ということになります。それにどれだけcontribution(寄与)するかということが、物質文明の一番重要な課題ということができます。それがまさに産業革命であり市民革命の本質と言っていいでしょう。