問題はスマホの引き金の軽さか?

ある人が誹謗中傷のメールを書くと、必ずそれに同調し、さらにはもっと手厳しく糾弾する意見が現れ、それが大きな奔流になってしまう。その奔流を形づくった投稿は、実はほとんどよく考えもせず、他人の意見を繰り返しただけのものが多い。匿名をいいことに日頃のうっぷんを晴らすものもある。

スマートフォンを善い行為に使えば、善きスマートフォンの使い手になれる。SNSを多くの人が善い方向で使えば、SNSの世界もまた変わってくるだろう。「一瞬の判断を培う」の根底に、IT社会をより善いものにしようという心構えがほしい。そこでの問題はやはり、スマートフォンの引き金の軽さである。ふだんからよくよくこの道具の特徴を把握し、意識していないと、つい悪い方に使ってしまう。ふだんの心がけが「一瞬の判断」に大きな影響を与える。

スマートフォンなどのソーシャルメディアをどう使うか、あるいは使わないか。「然るべきときに、然るべきことがらについて、然るべきひとに対して、然るべき目的のために、然るべき仕方において」(前掲書)、一瞬の判断をする。他人の迷惑になるようなことをしないといったごく一般的なモラルを身につけるためには、幼いころからの家庭や学校、あるいは地域での教育が大事である。

道徳(倫理)という言葉をリベラルな人たちが毛嫌いするために、右翼的政治家の専売特許のようになりがちなのは悲しむべきことである。アリストテレスの関心は「人生いかに生くべきか」であり、「人間の最高善としての幸福」とは何かを考えることだった。

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