日本への愛を今後も証明する

【パウエル】私の場合は、生まれ育った(ニューヨークの)ブロンクス地区の住人がみんな移民だったので、ある意味では幸いでした。ユダヤ系、イタリア系、プエルトリコ系、中東系……。当時はアメリカはどこもこんな感じなんだと思っていました。実際は違いましたが(笑)。ただそうした環境の中で、肌の色や性別や言葉の違いが人を分ける理由にはならないという、基本的な感覚を身につけました。

ベトナム戦争から帰還した当時、黒人だからという理由でレストランに入れてもらえないこともありましたが、そのとき私はこう考えることができました。「自分に落ち度はない。相手に問題があるんだ」と。

【孫】子供の頃、家族でボクシングの試合をテレビで見ていました。韓国人と日本人のボクサーが闘っていて、祖父母は韓国人のボクサーを応援するんですね。日本のことは大好きでも。両親はといえば、どちらも応援する。そして私や兄弟たちは、日本の選手を応援するんです。祖父母の手前あまり大喜びできなくて、お膳の下でガッツポーズをしたりしていたんですが。

移民3世である私や兄弟は、日本で生まれて日本語しか話せない。移民は3世代ほどで、その国にもとから住んでいる人と差がなくなるのです。日本では、少なからぬ人々が純血の日本人こそが国を愛せると考えている。でも、どうでしょう。私はどうしても日本人になりたくて、日本への帰化を申請しました。その過程では、涙を流すようなことも何度もありました。

私は、日本への愛について誰にも負ける気はしません。私が日本人であることは、与えられたものではなく、自らの意思で勝ち取ったものだからです。私の日本への愛は本物だと、今後も証明していくつもりです。

【パウエル】そうですね。アメリカは建国当初から移民の国でしたが、新しいグループの移民は最初は受け入れられず、見下されることも多かった。でも2世、3世と代を重ねるにつれ、彼らは元の民族のアイデンティティを保ちつつ、真のアメリカ国民となっていきました。

私は軍人なので、米陸軍史に残るエピソードの一つ、第2次世界大戦での日系人部隊の活躍をあげたいと思います。

日米の開戦を受けて、米政府はアメリカに住む日系人をすべて収容所に押し込めました。非人道的な処置ですが、敵国にルーツを持つ彼らを恐れていたのです。しかし、収容所からの志願兵で編成された有名な第442連隊戦闘団は、ヨーロッパ戦線で卓越した働きを見せました。彼らは戦うことでアメリカへの愛を示し、日系人への偏見をぬぐい去ろうとしたのです。戦争が終わる頃には、日系人に対していかに不当な扱いをしたか、アメリカも気がつきました。