“For the company”という大義
その象徴的な出来事が新潟製油所の閉鎖だった。ここは、当社発祥の地のひとつで、戦後もいち早く再開させたという経緯を持つ重要拠点だった。けれども、すでに精製装置そのものが将来の需要構成に見合わず、規模も小さい。しかも、できあがった製品の転配送コストも高い。我々4人は「この製油所は競争力があるのか?」と訴えて社内の説得にかかった。
とはいえ、当時は石油会社が製油所を閉めるというのは前代未聞。300数十名の従業員の雇用の問題があり、地域経済への影響も少なくない。このニュースが伝わると「何とか閉鎖を阻止しよう」と、国会議員を含め政界や行政から、ありとあらゆるプレッシャーや陳情が押し寄せた。これらを撥ね除けられたのは、私たちに“For the company”という大義があったからにほかならない。
その結果、抵抗勢力の巣窟だった取締役会でも承認に漕ぎつけることができた。98年に決定し、順次各種装置を撤去。翌年の99年に完全閉鎖。その間、人材の再活用もあわせて進め、転勤を伴う配置転換もスムーズにできたことは幸いであった。跡地はその後、当社の製品輸入基地及び日本海側の主要出荷拠点として活躍している。敷地内の遊休地には、7メガワットの能力を有するメガソーラー発電所が建設されており、新たなエネルギーを供給し続けている。
振り返ってみると、およそ20年前の昭和シェル石油グループの操業コストは3000億円近かったと記憶している。この新潟製油所のプロジェクトを機に固定費の構造改革が図られるようになり、いまや半分以下のコストで事業体運営を賄えるようになっている。もしあのとき、多少の軋轢にひるんで、改革の手を止めてしまったらと思うと肌寒い気がする。勇気を持って前に進んだことが、結果的に会社の未来を担保し、社員の雇用確保につながったと自負している。
1947年、広島県生まれ。県立広島観音高校、中央大学法学部卒。70年シェル石油(現昭和シェル石油)入社。2001年取締役。常務、専務を経て、06年代表取締役副会長。09年会長。13年3月よりグループCEO兼務。