「隣の芝は青く見える」という。他人を羨ましく思うことが、明日への活力につながることもあるし、国全体としての経済成長を促すこともあるだろう。
しかし、それがいきすぎると、こだわりや執着を生む。何よりも日々の生活が、「いつか幸せ」になるためのプロセス、手段になってしまう。
本当は、今日という日は、二度と帰ってこない。だからこそ、日々の足元を見直すことが、幸せにつながる。つまり幸せとは、一つの「発見」であり、「認知」なのだ。
そのことを表しているのが、メーテルリンクの「幸せの青い鳥」の寓話だろう。幸せを求めてさまざまな場所を旅し、家に戻ってくると、幸せの青い鳥は、実は最初から自分たちの家にいたのだった。
この寓話が意味するところは、幸せの条件は、すでに足元にあることが多い、ということであるが、もう一つ、大切なポイントがある。
それは、他人の人生、別の生き方を知ることが、自分自身の幸せを見直すきっかけになるということ。幸せの青い鳥は、最初から家にいたのかもしれない。しかし、家に閉じこもっていたままでは、その意味に気付くことはできなかっただろう。
さまざまな場所を旅して、いろいろな人と話すことは、だから、決してムダにはならない。外国を旅した人が、日本の良さに目覚めるように、他者との出会いがあって初めて、身近にある幸せの泉に気付くことができるのだ。
結論。幸せの青い鳥は、すぐ身近にいる。しかし、その存在に気付くためには「旅」をすることが必要。幸せは、手をたたくくらい簡単なことなのだが、そのためにこそ、他人との出会いが大切だ。
さあ、そこのあなた、身近な幸せを見つけて、いっしょに手をたたきませんか。
(写真=AFLO)